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青森県立郷土館ニュース

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ふるさとの宝物 第134回 石製垂飾品(風韻堂コレクション)

サメの強さにあやかる?

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右はサメの歯を模した縄文晩期の石製垂飾品
(長さ8.6cm。県立郷土館所蔵。)
左の3点はサメの歯
(上2点は県埋文センター所蔵。下は板柳町教育委員会所蔵。)


 石製垂飾品(せきせいすいしょくひん)の全体の形は二等辺三角形で、底辺が湾曲している。一方は欠失しているが、底辺の両側に穿孔(せんこう)されていたらしい。側面には細かな刻みがある。これはサメの歯の形を真似た垂飾品と考えられる。
実はサメの歯は日本各地の縄文遺跡から見つかっている。青森県では早期の終わりから晩期のものまであり、中には孔が開けられ、垂飾品として用いられたものもある。サメの種類はホオジロサメやアオザメなど暖海性のサメがよく知られている。
左側の3点は実際に遺跡から出土したサメの歯で、上2点が六ヶ所村富ノ沢(2)遺跡、下が板柳町土井Ⅰ号遺跡のもの。なぜ海岸線から数十㎞内陸にある土井Ⅰ号遺跡からサメの歯が出土したのだろうか。なぜ暖海性のサメの歯が青森から出土したのだろうか。
サメは海で最強の生き物であり、縄文人は、その一部を身につけることで強さを身にまとうことができると信じたのかもしれない。だからこそサメの歯が流通し、本物の歯だけでなく、石製の装飾品もつくられたのだろう。
(県立郷土館主任学芸主査  中村 哲也)
by aomori-kyodokan | 2016-02-25 10:48 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第127回 貝層の地層剥ぎ取り

発掘調査後も観察可能

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 写真は、1991年に県立郷土館が国史跡七戸町二ツ森貝塚の発掘調査を実施した際に作成した地層断面のはぎ取りである。はぎ取りとは、貝塚などの地層断面に特殊な糊(のり)を塗り、その上に布を貼って地層を構成する土と貝を文字通りはぎ取ったものである。
この貝塚は、縄文時代中期後半(約4500年前)の人々が利用した貝殻などが堆積したもので、厚さが80cmある。はぎ取りをみると、貝の種類はヤマトシジミ・マガキ・ハマグリなどの二枚貝が多く巻貝が少ないこと、貝殻のほか魚骨やシカやイノシシなどの獣骨、土器や石器も混じっており、さまざまなものが貝塚に捨てられていた様子がうかがえる。さらによく見ると、貝殻は種類ごとにまとまりをもって層をなしているようで、一定期間集中して特定の貝を採集していた可能性も考えられる。
本来、地層の重なりは発掘調査時にしか見られないが、地層をはぎ取ることで調査後にも地層観察が可能になる。このように、はぎ取ることは貝塚の様相を探る上で有効な方法である。
(県立郷土館主任学芸主査 杉野森淳子)
by aomori-kyodokan | 2016-01-07 08:43 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第121回  青竜刀型石器(風韻堂コレクション)

用途不明 不思議な道具

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 全体の形は青竜刀を思わせる。江戸時代、奇石に造詣の深かった木内石亭(きのうちせきてい)は、「其形状青竜刀ともいうべし」と記している。明治から昭和初期にかけて考古学研究者達はいくつかの名称を与えるが、「青竜刀」が冠されていたことは変わらない。
実際には青竜刀とはかなり違っている。写真の下側が次第に薄くなり、あたかも刃を思わせる。弱く湾曲している。一方、上側は強く湾曲し、厚く、溝の中に突起がある。突起の右側は程なく段差で区切られ、その先は欠損しているが、棒状になると考えられる。
東北地方、特に北部から北海道南部を中心に出土例が知られている。縄文時代中期から後期にかけてつくられた。
青竜刀をまねしたものではないことは、刃の位置から考えて明らかだろう。鮭漁の際、鮭の頭をたたく道具とする説もあったが、どの遺跡からも見つかるわけではなく、複数みつかる場合も少ない。そのため実用の道具とは考えにくく、特別な意味があったらしい。不思議な道具である。青森市戸山出土。
(県立郷土館主任学芸主査 中村哲也)
by aomori-kyodokan | 2015-11-19 10:05 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第113回 独鈷石(どっこいし) (県重宝、風韻堂コレクション)

呪術用? 特異な形の石器

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 独鈷石(どっこいし)という言葉から、写真の資料と結びつくだろうか。名称は仏具の独鈷に似ていることから名付けられた石器である。縄文時代後期から晩期に現れ、比較的東日本に多い。他の石器に比べ出土例はまれで、県内では10例ほどしかない。
資料はつがる市亀ヶ岡遺跡から出土した縄文時代晩期の石器である。長さ16.1cm幅3.1cm。資料全体は良く研磨されているため表面は滑らかで、光沢のある黒い色をしている。中央部には帯状の突起が二つ巡る。この突起を仏具では鍔(つば)と呼ぶ。端部の形状は磨製石斧の刃先に似ていることから、石斧に区分されることもある。
実際の用途については未だ解明されていない。多くは、実用的な道具というより、石斧の特徴をもつ生業にかかわる呪術的な道具と考えられている。このように考古資料には用途が特定できない特異な形状のものもある。果たしてこの石器に託された縄文人の思いとは。
(青森県立郷土館 主任学芸主査 杉野森淳子)
by aomori-kyodokan | 2015-09-24 15:19 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第108回 土偶(大曲遺跡出土)

まるで近未来的なマスク

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弥生時代前期砂沢式の土偶


 土偶は極めて縄文的な遺物である、といわれる。というのも、縄文時代、特に東日本で数多くつくられた土偶は、弥生時代になると日本の多くの地域で、姿を消すからである。そこには縄文的な信仰体系が変質したことが窺われる。
 この土偶は青森県鰺ヶ沢町大曲遺跡(現在の大曲(1)遺跡)で出土した弥生時代前期砂沢式のものである。顔面が特徴的である。高く盛り上がった水平なラインは眼か、はたまた眉の表現か。近未来的なマスクを被ったようにさえ見える。腕はほぼ水平に開き、脚はがに股。まるで土俵入りの横綱のようだ。実は、このころの土偶は縄文晩期の遮光器土偶から次第に変化していったものなのである。砂沢式土器も最後の縄文土器とよく似ている。そのほか引き続きつくられる縄文時代の祭祀具もある。青森県の弥生時代は教科書に出てくる典型的な弥生時代像とはかなり違っていたのである。
(県立郷土館主任学芸主査 中村哲也)
by aomori-kyodokan | 2015-08-20 17:20 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第100回 クマ型土製品

カミの姿を重ねる?

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クマ型土製品(弘前市尾上山遺跡、風韻堂コレクション、小川忠博氏撮影)


 新聞で「クマ目撃」情報を連日目にする。縄文人はどれだけクマに遭遇していたのだろうか。写真は縄文時代晩期(約三千~二千二百年前)の資料である。
 両耳と足先、尻尾は欠損しているが、全長14センチ、高さ・幅8.3センチのずんぐりとした体型は、いかにもクマらしい。大きく開いた口の上下には、鋭い牙も表現されている。胴体には土器と同じ縄目模様と棒で描かれた文様があり、ふさふさとした毛なみのようにもみえる。胸には「ツキノワグマ」の特徴である三日月模様の表現もある。
 クマやイノシシを象った動物形土製品は縄文時代後・晩期の東日本に多く分布する。東北北部から北海道の地域では、特にクマが目立ち、クマの顔や足跡が描かれた土器や石器も出土している。その一方で、出土した動物骨では、イノシシやシカと比べてクマは極めて少ない。この時代、クマに対する特別な信仰があった様子が窺える。縄文人はクマにカミの姿を重ね、大地の恵みに対する畏敬と感謝の気持ちを伝え、狩りの安全を願っていたのかもしれない。
(青森県立郷土館 主任学芸主査 杉野森淳子)
by aomori-kyodokan | 2015-06-25 08:54 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第95回 縄文式注口土器

「ハレ」の器 中身は酒?

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縄文式注口土器(岩手県二戸市出土、県重宝)


  「注口土器」は字面どおり注ぎ口が付いた土器のことである。青森県を含む東北地方で最も多くつくられたのは縄文晩期亀ヶ岡式、特にその前半期である。亀ヶ岡式では丸い胴がつぶれ、そろばん玉のような形をとる。現在の急須をイメージさせる形態で、液体を注ぐものと考えられている。
亀ヶ岡式土器には文様で飾られた、あるいは光沢を放つほど磨き上げられた精製土器と、縄文だけを付けた粗製土器がある。粗製土器は数も多く「ケ」の器、精製土器は数も少なく、「ハレ」の器と考えられている。
注口土器に粗製土器はないからハレの器である。注口土器から注がれた液体の中味を科学的に証明することは難しいが、個人的には酒であって欲しい。亀ヶ岡式の注口土器は普通、径10cmから20cm前後、本品は径28cmほどもあり、大型である。多くの人が集まるマツリの席で酒がふるまわれたのだろうか、そんな想像を禁じ得ない。
(青森県立郷土館 主任学芸主査 中村哲也)
by aomori-kyodokan | 2015-05-21 12:56 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第83回 ヒスイ製勾玉(まがたま)・丸珠(風韻堂コレクション)

縄文人魅了した装飾品


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縄文人を魅了したヒスイ製の勾玉・丸珠


 縄文時代を通して新潟県糸魚川産のヒスイ製装飾品は、県内各地で確認されている。縄文中期(約5000年前)には三内丸山遺跡に代表される厚手で丸みのある大きな「大珠(たいしゅ)」が好まれた。晩期(約3000年前)になると、写真のような小型の勾玉や丸玉が主流となる。
 写真は亀ヶ岡遺跡出土品である。大きさは勾玉が2.5~3.5センチ、丸玉が1.0~1.7センチと小さい。紐通しの穴の大きさはいずれも片側が7ミリもう一方が2ミリである。これらを地元で採取した石で造った丸玉・平玉と組み合わせて数珠状に連ねて首飾りや腕輪にするのがこの時期の流行りであった。ヒスイ製品は縄文人が身に付ける装飾品の中で最も価値の高いものだったのだろう。勾玉は、動物の牙に紐通しの穴を付けた牙玉(きばたま)が原形といわれている。
 県立郷土館では、県内各地から出土した様々なヒスイ製品のほか未完成品やヒスイの原石も展示している。縄文人が魅了されたヒスイを堪能いただきたい。
(県立郷土館主任学芸主査 杉野森 淳子)
by aomori-kyodokan | 2015-02-12 11:05 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第79回  縄文人復原像

彫りが深い顔が特徴

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人骨を基に復原された縄文人の顔


考古資料は圧倒的に人間の使った道具が多く、人間そのものは少ない。縄文人復原像は出土した縄文人骨をもとに復原したもので、貴重な資料である。
 1971(昭和46)年、六ヶ所村の馬鈴薯原々種農場=現在の弥栄平(1)遺跡=で耕作中に縄文時代後期の大型壺形土器が見つかった。中には人骨が1体分入っていた。骨を収めた土器棺だったのだ。偶然の発見だったため、残念ながら写真や図面は残っていない。
人骨は人類学者による鑑定で20歳前後の若い女性であることがわかり、頭蓋骨から彫りの深い顔立ちが復原された。
 絵や人形で見る縄文人もこの復原像のように、出土した人骨から抽出された縄文人の特徴に基づいて描かれているのだ。
 展示室には復原像と併せて、土器棺・人骨も展示している。さらには土器棺を使った墓と関連する石棺墓(石を箱形に組んで作った墓)の模型もあるので、併せてご覧頂きたい。復原像があることで、墓やその背後にある精神性をリアルに感じることができるのではないだろうか。
(県立郷土館学芸課 主任学芸主査 中村哲也)
by aomori-kyodokan | 2015-01-15 17:12 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第72回  石皿と磨石(すりいし)

木の実の加工に使用

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縄文人が木の実の加工などに使った石皿と磨石(中央)


 クリ・クルミなどの木の実を食料としていた縄文人にとって、実りの秋は収穫に大忙しであったことだろう。遺跡の出土資料から青森県内では縄文時代前期中頃(約5500年前)からクリやクルミが、中期(約5000年前)にはトチの実が利用されていたことがわかっている。
縄文人は、秋に収穫した木の実を1年を通して食べられるように加工・保存方法に工夫を凝らしていた。実のままであったり、粒や粉にもしていたようである。クリとクルミは生のままやゆでてすぐに食べられるが、ドングリとトチの実は渋味が強いためこれを取り除く作業が必要である。木の実の加工に、石皿と磨石(すりいし)が用いられていた。
 石皿は(長さ56cm幅35cm高さ11cm)、周囲に高さ4cm幅2cmの縁を巡らせており、偏平な石をこのような形に意図的に成形している。縁があると液体や粉の飛び散りを防ぐことができる。磨石は直径9cm厚さ7cmの握り拳大の球状であり、物をすりつぶすことに使われたと考えられている。縁のある石皿は堅果類の利用が盛んとなる縄文時代中期・後期に多いことから、堅果類の粉砕や製粉に使用されたことが想定されている。
(県立郷土館 主任学芸主査 杉野森 淳子)
by aomori-kyodokan | 2014-11-13 13:48 | ふるさとの宝物