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青森県立郷土館ニュース

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タグ:民俗 ( 89 ) タグの人気記事

ふるさとの宝物 第131回 庚申様の柱

津軽の特色ある習俗

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神名などが墨書された庚申(左)と二十三夜の柱(右)


 写真の庚申(こうしん)様掛図の両側に立つ柱は、五所川原市のショッピングモールが見えるバイパス沿い、唐笠柳町会が祀る庚申と二十三夜の石塔の後ろに立てられていたものである。柱の先端に松の枝、その下に山と日月を描いた横板を取り付け、左側の庚申には「猿田彦大神」「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」、右側の二十三夜には「月読命(つくよみのみこと)」の神名などが、柱面に墨書きされている。
 庚申の日の夜は人々が集まり、寝ずに身を慎み時を過ごすという庚申信仰は、全国的によく知られている。庚申の日は年に6回あるのが普通であるが、7回の七庚申、5回の五庚申の年は、七庚申の豊作、五庚申の不作という俗信などもあり、特別な祭事をすることがあった。
津軽地方においては、そのような年にツカなどと呼ぶ標柱を立て庚申を祀っており、特色ある習俗とされる。唐笠柳では現在、毎年柱を取り替え庚申と二十三夜を同日に祀っているそうで、かつての習俗の変化などが推察される。
 本日は二十四節気の立春。この日を新年の始まりとする場合もあるので、あらためて申年にちなみ、申と関わりがあるとされる庚申様の資料を紹介した。
(県立郷土館学芸課長 古川実)
by aomori-kyodokan | 2016-02-04 09:41 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第126回 シメナワ

丹精込めて手作り

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大・小のシメナワ


 年の瀬を迎える町に市が立ち、大勢の人々が繰り出す光景も、今は昔。昨年末、青森市中心街でみられたシメナワ(しめ飾り)売りの露店は、わずか5軒ほどだった。
シメナワを商うのはいずれも同市郊外に位置する駒込(こまごめ)集落の人々。シメナワはみな売る人の手作りだ。「(当時流行の)マント欲しくてさ。小遣い稼ぐのに始めだんだ」そう語るのは、当地で60年以上シメナワを商う武田まちゑさん(82)。「5~6銭でも売れば、売れだなって。あずまし正月越すにいってな」
自家用車もない時代。駒込を午前3時に出発し、片道6㎞の道を中心街まで歩いて通った。背負える量を売るだけの、ささやかな商売。それが、昭和40年代になると、転機を迎える。徐々にシメナワの需要が高まり、集落をあげて大量に生産されるようになった。「駒込しめ縄組合」の組織のもと、北海道にまで輸出され、材料のスゲが足りず「ホガムラ(他村)まで刈(か)に行がねばねえ」ほどだったという。
スゲの栽培を含めると、シメナワづくりは丸1年がかりの作業。炎天下の刈り入れから選別、乾燥など、素材の準備だけでもかなりの重労働だ。まちゑさんが1年かけ丹精込めてこしらえたシメナワが、今年もまた露店にならぶ。
(県立郷土館研究員 増田公寧)
by aomori-kyodokan | 2015-12-24 09:47 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第125回 巨大わらじ

巨人用…ではなく奉納用

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巨大な奉納用ワラジ(県立郷土館蔵)


 近代に西洋の靴が普及するまで、日本列島の人々の履き物は、ワラや樹皮、木で作り、足を乗せる台の上に鼻緒を付けた構造のものが多かった。そのなかでも長旅や仕事で履くのがワラジ(草鞋)だった。平安時代にはその原型が生まれていたという。青森県立郷土館にも、ふるさとの人々が使ってきた多くのワラジがたくさん収蔵されている。
 そのなかでも最大のワラジを紹介しよう。写真の巨大なワラジは、片足分で長さ約2.8メートル、幅約1メートルもある。その重さも大変なもので、片足だけでも大人の男性がやっと担げるくらいだ。いったいどんな巨人が履いたワラジだろうか。
いや、これは実用のものではなく、神仏に奉納したワラジだと考えられる。人々はムラや神聖な空間に災いや魔が侵入するのを防ぐため、賽の神や道祖神、寺の門前を守る仁王像などに大きなワラジを奉納することが多かった。
 寛政8年(1796)7月2日に津軽の車力付近を通った旅行家菅江真澄も、大山祇(おおやまつみ)神社の大鳥居に大きなワラジをたくさんかけているのを見て「仁王尊が祀られているのだろうか」と記録している(「外濱奇勝」)同じく本資料も祭祀具と推測され、三沢市にあった旧小川原湖民俗博物館が採集し、近年当館へ寄贈されたものである。
 12月19日(土)から来年2月4日(木)まで開催する当館特別展「大中小~くらしのなかのスケールあれこれ~」で展示する予定だ。ぜひご覧いただきたい。
(県立郷土館主任学芸主査 小山隆秀)
by aomori-kyodokan | 2015-12-17 10:28 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第118回  刺し子の見本

刺し子の見本

ずらりと並んだこぎん刺しと菱刺しの見本


 当館3階の郷土学習室「わくわく体験ルーム」」は、各常設展示を巡ってきての最終地点にあたり、ヅグリや福笑いなどの遊具で遊びながら、昔の暮らしを体験できるコーナーである。クイズラリーの答え合わせをすると、プレゼントをもらえるカウンターもあり、休日ともなると子供たちが楽しんでいる様子をよく目にする。
 この学習室の東側壁面に、本県の庶民文化を伝える代表的なものとして、コギンと菱刺しの見本が展示されている。「カチャラズ」「ベゴノクラ」など各種の紋を手のひら大の地布に刺したもので、コギン約50、菱刺し約20を台紙に貼り付けて掲示したものである。これらは、かつての解説員たちが一針一針刺して自作したもので、地元の女性たちが習い伝えた手業を自ら追体験しようとした、解説員たちの思いを感じさせてくれる資料でもある。
 テキスタイル・デザインの人気が高まってきたころ、この見本を借用したいという要望があったが、お断りしたことがある。これほどの数をそろえた刺し子の見本が空白となったとき、ほかに代替できるものがないからである。
(県立郷土館学芸課長 古川実)
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by aomori-kyodokan | 2015-10-29 11:16 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第114回 イモガンナ

余さず使うための知恵

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民俗展示室に展示中のイモガンナ


 下北地方には、ジャガイモの多様な加工法や調理法が伝えられている。イモが盛んに利用された背景には、水稲の栽培に不向きな気候的・地理的条件があった。
利用の多様性を支える道具のひとつに、「イモガンナ」がある。人々は「クズイモ」と呼ばれる小さなイモも、粗末にはしなかった。箱状の部分にクズイモを詰め、前後にスライドする。下部に組み込まれた刃でイモがスライスされる。
水に浸けると「ハナ」(でんぷん)が沈殿する。ハナは食用にする。ハナの抜けた「イモカス」も捨てない。干して粉にし、モチやダンゴにして食べた。
 「へたて、なも食(く)のネェものよォ。さらして乾がして、ウスでハダいで、シノでトシて(フルイに通して)。バゲになれば、オツユの実。汁ダンゴってな。ツルつだナベコさ掛げどぐべ。それさフトツずづへで」(むつ市川内、87歳女性)。イモのカスと侮ってはいけない。これが意外においしい。
 ハナをとるには、すり潰して水に浸す方法もある。昭和40年代頃から、家庭用のジューサーミキサーを使ってすり潰すようになったと語る人もいる。道具は変わりつつ、イモの多彩な利用法は受け継がれてきた。
ただ時を経るに従い、イモカスを捨ててしまう場合が多くなった。確かに「カス」まで食べる必要はない時代かもしれない。だが、余すことなく利用する知恵や技術や精神も失われてしまうのは惜しい。
(県立郷土館研究員 増田公寧)
by aomori-kyodokan | 2015-10-01 16:04 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第112回 右衛門六良仏(えもんしろうぶつ)

民衆の願い、祈り反映

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1969(昭和44)年に青森県南部地方の旧家から寄贈された右衛門四良仏(県立郷土館蔵)


 家々が立派な仏壇を設けるようになったのは、近世からだとされている。よってそのなかに仏像を祀るようになったのもそれ以降のことであろう。写真は、おもに十和田市や七戸町周辺などの青森県上北地方の寺社や旧家の仏壇、神棚、台所などに祀られてきた素朴な丸彫りの木像で、「右衛門四良仏(えもんしろうぶつ)」と呼ばれてきた形式の仏像である。作者は、十和田市洞内の旧家、長坂屋右衛門四郎家の当主でありながら、18世紀中期から後期にかけて多くの仏像を造って活躍し、1779年頃に没した大工「右衛門四良(えもんしろう)」だとされている。右衛門四良は、このような僧形の像だけではなく、観音像や恵比寿像、鬼形像、十王像など、バラエティに富んだ像を残している。当時の民衆の様々な願いや祈りに応じて彫ったのだろう。
(県立郷土館主任学芸主査 小山隆秀)
by aomori-kyodokan | 2015-09-17 11:04 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第105回 イタヤ細工の箕(み)

かつて南郷で多く生産

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イタヤカエデを編んで作られた箕


 写真は、脱穀した穀物の実と籾(もみ)を選別する用具の箕(み)である。イタヤカエデとフジ皮で編まれており、横116センチ、縦77センチ。1972年に五戸町の浅田中学校から寄贈されたもので、製作地は南郷村(現八戸市南郷区)世増(よまさり)と記録されている。世増はイタヤ細工の地として知られ、箕のほかにリンゴ籠、お針籠などを作り、県南地方一円を販路とした。
 8年前の7月に世増出身のおじいさんからイタヤ細工の話を聞く機会があり、その手業も見学した。編む材をツラモノといって、イタヤを縦に鉈で割り、さらに小刀で剥いで、長さ1.2メートル、幅1.2センチ、厚さ1ミリほどにする。ツラモノを作る技術と道具ひとそろいがあるのは、今はおじいさん一人だという。ダム建設による世増各戸の移転から、イタヤ細工も続かなくなった。材は男でないと作れないが、男はすぐ飽きるから編み上げるためには、女手がどうしても必要だという話が印象深かった。
 後日知ったのだが、五戸町出身の民俗学者能田多代子の世増採訪記「箕作りの村を訪う」(1949年発表)に、このおじいさんは若者として登場していた。                                  
(県立郷土館学芸課長 古川実)
by aomori-kyodokan | 2015-07-29 15:22 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第103回 マタギの巻物

自由な狩りの特権証明


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1982(昭和57)年に五所川原市岩木町在住者から寄贈されたマタギの巻物


 古い書物のなかには、各家で代々継いできた生業について、その由来や特権を説明するために使われたものがあった。
 例えば伝統的狩猟を職としたマタギたちもそのような巻物「山立根本巻」を伝えていた。そのなかには昔、下野国の万治万三郎という弓の名手が、上野国赤城明神と戦った日光明神に助勢した褒美として、日本国中の山々で狩りをすることを認められてマタギの先祖になった、という伝説が記されている。
 現実のマタギ達もこれを持てば、どこの山野でも自由に狩りができる特権が証明されたという。また、なかにはマタギ特有の呪文が書かれているものもある。
 巻物の中身は絶対に他人に見せてはいけないといい、山の神の祭日にも開かなかったという。よってたいていは巻物を木箱や革袋に入れて神棚の奥に大事に祀ってきた家が多いが、世代を経ると子孫達にとっては中に記されている呪文について、ほとんど忘れられてしまっていた事例もあった。

(県立郷土館主任学芸主査 小山隆秀)
by aomori-kyodokan | 2015-07-16 10:46 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第101回 ニコニコの綿入れ

愛らしく暖かい幼児用

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幼児用に手縫いされたニコニコの綿入れ


「懐かしいねぇ」。70代後半以上の方々に尋ねると、そんな声が漏れる。「ニコニコ」は昭和30年代頃まで使われた木綿地の一種。安価で丈夫なことから、普段着や仕事着、子どもの着物の布地として、本県でも広く用いられた。写真の資料は、ニコニコで作られた一ツ身の綿入れ。1~2歳頃の幼児に着せたものだろう。包みこむように抱くため、丈は長めに仕立ててある。歩き始めれば着丈にあわせ腰アゲをとる。衽(おくみ)や肩アゲも、成長にあわせるための配慮であり、着物をかわいく見せるポイントでもある。男の子用だろうか。ニコニコによくみられる絣(かすり)風の柄に、あさぎ色の腰ひもがまぶしい。一人歩きする前は、このひもを身八つ口から出して前で結ぶ。寝ていることが多い時分、結び目が背中にあたって煩わしくないようにとの思いやりからだ。既成のベビー服もかわいいが、子の成長を願いながら手縫いされたこの綿入れは、なお愛らしく温かそうに見える。
(県立郷土館研究員 増田公寧)
by aomori-kyodokan | 2015-07-02 15:57 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第93回 家印

家の呼び名や格を表す
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家の呼び名や格を表す


 民具を観察していると、刻印や焼き印を見つけるときがある。写真は展示資料から見つけた印で、左はヤマモト、右上はカクナカ、右下はリュウゴ(立鼓)と呼んだものと思う。建物や船、墓、道具類などに、それを所有する家を示すため付けられたもので、民俗学では家印と呼んでいる。印の呼び名が世間での家の呼び名になり、カネサ、ヤマサなど大店の屋号や商標にも用いられた。
 同族の家は同じ印を使うことが多く、家の新旧、本分家などの区別をヤマイチ、ヤマニというように数字などを付けて示したので、家印からその家の社会的な位置付けを推測できる場合もある。農具をほったらかしていると、家印からどこの家の農具かすぐ判り、その家の評価にも関わってくると教わったことがある。印を付けることは、日々の生活態度に責任を持つことでもあるということであろう。
 民具に刻まれた印は、ムラではどんな意味を持っていたのか、どんな人が使っていたのかなど、いろいろな事を考えさせてくれる。
(県立郷土館学芸課長 古川実)
by aomori-kyodokan | 2015-04-30 09:13 | ふるさとの宝物