人気ブログランキング |
ブログトップ

青森県立郷土館ニュース

kyodokan.exblog.jp

タグ:歴史 ( 39 ) タグの人気記事

ふるさとの宝物 第132回 南部下北半島真景図・津軽外ヶ浜真景図

北方警備の要所描く

b0111910_910759.jpg
南部下北真景図「蛇浦のほとり切通の望」


南部下北半島真景図・津軽外ヶ浜真景図は、江戸時代の絵師大野文泉が描いたもので、2巻に分かれ、それぞれ16枚の絹本彩色画で構成されている。
 絵師の大野文泉は白河藩士で藩主松平定信に仕えた。彼は文化4年(1807)8月に奥州・羽州方面の古社寺・古武器と真景(土地の景観)の写生を命じられ、仙台~南部~秋田をめぐり、中尊寺の古物、遠野南部家や櫛引八幡宮の甲冑を写生した。文泉に同行した田井元陳(定信の側近)が書いたと思われる「ふところ日記」(東北大学附属図書館蔵)の末尾には、櫛引八幡宮以降の行程が列挙されていて、下北半島を訪れた後に津軽半島を回ったことが確認できる。
文化4年は、4月に幕府が箱館奉行及び弘前・盛岡両藩に宗谷防衛を指示し、5月にはロシア船の利尻島への進入に対して奥羽諸藩に蝦夷地出兵を命じるなど、ロシア船の来航に対する北方警備が強化されていく時期である。描かれた場所のほとんどが津軽海峡に面した下北半島及び津軽半島の沿岸部であり、当時の情勢を併せ考えると非常に興味深い。
 また、アットゥシ(アイヌの衣服)を着た人物がたびたび描かれていることから、描かれた地域におけるアイヌ民族との交流を考察する上でも有益な情報を提供する資料である。3月3日から開催の新収蔵展で公開予定だ。
(県立郷土館学芸課副課長 竹村俊哉)
by aomori-kyodokan | 2016-02-11 09:08 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第129回 ティーカップ

70年前の小さなおもちゃ

b0111910_106466.jpg
小さなティーカップ


b0111910_107369.jpg
皿の裏には「占領下の日本製」を意味する文字が記されている


 クリスマスにお正月が終わりました。子供たちはお気に入りのおもちゃを手にして、笑顔になったことでしょう。
さて、写真のティーカップは約70年前に作られたおもちゃです。隣に置いたクリップと比較してもらうとわかるように、皿の直径は3.9㎝、ティーカップの高さは1.7㎝の非常に小さい物です。皿の裏には「MADE IN OCCUPIED JAPAN(占領下の日本製)」とあり、日本がアメリカの統治下にあった1945~52年の間に作られたおもちゃであることがわかりました。
日本のおもちゃは占領軍による玩具の輸出奨励策によりアメリカ向けに輸出され、おもちゃは日本の貿易を支える産業の一つとなりました。かつて軍備に利用された材料がおもちゃに加工され、アメリカの子供たちを笑顔に、その外貨で日本は食料品を輸入し、日本の子供たちが笑顔に、おもちゃはいつの世も子供のための物でありました。
現在、青森県立郷土館では企画展「大中小展」を開催しております。写真のティーカップのセットの他、さらに小さいドールハウス用のティーセット、普段使うティーカップが展示されていますので、その大きさの違いも是非ご覧いただきたい。
(県立郷土館学芸主査 伊藤啓祐)
by aomori-kyodokan | 2016-01-21 10:04 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第119回 弘前師範分校の成績表

3年で廃校 希少性高く

b0111910_11121611.jpg
弘前師範分校の成績表。読書や習字、作文といった教科も見える


 「教育学」や「授業法」という教科があり、「右ノ成績ニ拠リ第一号卒業証書ヲ授与ス」という記載があることから、この教員養成学校の設立以来、最初の卒業生となる人物の成績表であることが分かる。また、氏名の左下に書かれている「二十年九ヶ月」は、この人物が二十歳九ヶ月という年齢でこの学校を卒業したということを示すものである。
 「明治十六年三月二十三日」という年月日のあとに「三等教諭土岐八郎」を筆頭にこの成績を証明した六名の教員が署名押印している。六人目の「教員雇髙山静」とは、一八四九(嘉永二)年生まれの弘前の書家髙山文(ぶん)堂(どう)である。東奥日報社刊『青森県人名辞典』によれば、文堂は小学校で習字を教え、東奥義塾その他の中等学校でも教授したという。
以上を手がかりとすると、この学校とは弘前師範分校のことである。一八八〇(明治十三)年の教育令の改正により、小学校が初等科・中等科・高等科の三区分となり、青森県でも小学校初等科教員を養成する県立初等師範学校が各郡に一校ずつ設置され、一八八二(明治十五)年には青森県師範学校、同女子師範学校及び弘前師範分校内にも合設された。
 入学資格は「品行端正、体質剛健、年齢十七年以上ニシテ小学中等科卒業以上ノ学力アル者」、修業年限は一ヶ年であったので、第一号卒業生の年齢及び卒業年とも符合する。 ところで、明治十七年度には青森県師範学校と女子師範学校の二校以外は廃止されたことから、この成績表は希少性が高い資料と言える。
(県立郷土館学芸課副課長 竹村俊哉)
by aomori-kyodokan | 2015-11-05 11:09 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第116回 算額

数学の良問 寺に奉納

b0111910_11274138.jpg
数学の問題が記された算額(八戸市指定文化財、南宗寺蔵)


 十月も半ばになり、受験生の皆様はいよいよ本格的にシーズン到来となりました。
さて、今回紹介するのは算額である。これは八戸藩の和算の大家である神山由助の孫、久明が祖父の三十三回忌にあたる明治二十五年に八戸市の南宗寺に奉納したものである。
学には何が書いてあるかというと、数学の問題である。一問目を要約すると、「直方体があり、体積は140、高さは奥行きより2長く、高さと横の和が9である。三辺の長さを求めよ。」とある。三次方程式をつくり、解の公式を用いてようやく答えが出せる高校数学レベルの問題である。
数学の良問を額に入れて奉納していたのである。現在、テストの問題を良問だと、額に入れて部屋に飾っている生徒はおそらくいないだろう。我々の先人が持っていた学問に対する真摯な姿勢を改めて学びたいものである。
(県立郷土館学芸主査 伊藤啓祐)
by aomori-kyodokan | 2015-10-15 11:26 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第106回 津軽図譜「龍濱崎眺望図」

200年前の竜飛の景観

b0111910_9444683.jpg


 「津軽図譜」は弘前藩のお抱え絵師である百川学庵(ももかわ・がくあん。1799~1849年)によるもので、江戸後期の津軽地方の景観を描いた傑作である。
百川は幼くして江戸に出て、画壇の巨匠谷文晁(ぶんちょう)に出会い南画の作風を身につけた。「津軽図譜」は25枚の連作で、藩船や鳥・魚類なども描かれている。江戸詰の弘前藩士で画人の比良野貞彦が1788(天明8)年に8代藩主津軽信明とともに下国した際に描いた「外浜(そとがはま)画巻」が原作であると言われている。
 「竜飛」は、天文年間(1532~55年)の成立とされる『津軽郡中名字』の中の「龍濱(たつひん)」にあたると推測できる。
 絵の右側には津軽海峡を隔てた北海道の松前半島が描かれており、水平線上には小島(左側の大きい島)と大島(右側の小さい島)もある。地図で確かめるとわかるとおり、小島は竜飛崎から見て手前にあるので、大島よりも大きく、彩色も濃く描かれているのである。また、右上の絵の説明に「往来万国船」と書かれてあるとおり、よく見ると竜飛崎の岩礁の近くに白い帆が3つ小さく描かれていることに気付く。
 来年の3月にはいよいよ北海道新幹線が開業する。この絵が描かれた二百年ほど前に、海底の下を人が通るなどと誰が想像したであろう。
(県立郷土館学芸課副課長 竹村俊哉)
by aomori-kyodokan | 2015-08-06 09:43 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第99回 絵銭

お守り・おもちゃに利用







b0111910_15202898.jpg
b0111910_15212688.jpg
江戸時代の絵銭。写真左には仏の絵、写真右には念仏が描かれている。


 好きにも色々あるが、お金は好きだろうか?
今回紹介するのは「絵銭」である。江戸時代から鋳造された銭であるが、これは貨幣として流通目的に作られたものではない。図柄はえびす、大黒を始めとした神仏、馬、念仏・題目、植物、家紋などがあり、寺社仏閣の御守り銭、子供のおもちゃ、慶事祝賀の記念銭などに使われた。
 現在、青森県立郷土館ではエントランスホールにてウェルカムミュージアム「古銭オンパレード」を開催してい。絵銭の他、和同開珎のモデルとなった開元通宝から戦後までの貨幣、本物の寛永通宝から偽物を一枚探すクイズコーナーもある。コインコレクターとして、お金が好きな方も是非、クイズに挑戦してはいかがだろうか。展示は6月30日まで。エントランスのみの来館はノーマネーでご覧いただける。
(県立郷土館学芸主査 伊藤啓祐)

※ この展示はすでに終了しております。
by aomori-kyodokan | 2015-06-18 15:28 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第97回 金子常光「浅虫温泉名所図絵」

街のにぎわいまで表現
b0111910_151549.jpg
金子常光作の鳥瞰折図 「浅虫温泉名所図絵」


 空から地上を見下ろす視点で描く鳥瞰図は、古くから世界各地で作られてきた。明治以降、日本で鉄道が発達すると、庶民の旅行熱が高まり、観光案内を兼ねた鳥瞰図が盛んに製作された。中でも、「大正広重」の異名を持つ吉田初三郎の鳥瞰図は爆発的な人気を博した。初三郎は本県の八戸市種差にアトリエ「潮観荘」を置いていたことが知られている。
 その弟子であった金子常光は、初三郎にさきがけ、大正期のうちから東北地方の鳥瞰図を数多く描いている。その一つが『浅虫温泉名所図絵』である。左上の隅には「東京」という地名が見えるなど、実際の地形と違いが大きいが、地形を大胆に変形させて描くことでその地域の名所を余すところなく描き、そこへの交通機関まで詳細に示すところは、常光のかつての師である初三郎譲りと言えるかもしれない。
 この図では、国道から南側に向かって、料亭や旅館が数多くある温泉街が広がっている。当時のにぎわいをよく表していると言える。
 この春から、当館2階歴史展示室では、この図に加え、県内を描いた吉田初三郎の鳥瞰図2点を展示している。
(県立郷土館 主任学芸主査 佐藤良宣)
by aomori-kyodokan | 2015-06-04 15:16 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第94回 五つ珠そろばん

裏に学校名の焼き印

b0111910_1004835.jpg

五つ珠そろばん。上は「追子野木校」(写真右上)、下は「尾上小学」(写真右下)の焼き印が裏側にある


 そろばんは、東南アジア諸国で使われている計算器具で、日本には室町時代末期に中国から伝わったという。中国では重さの単位に16進法が採用されていたことから、伝来当時は五珠(ごだま)2つ、一珠(いちだま)5つの五つ珠そろばんが使われていた。江戸時代中期、弘前藩の宝暦改革に登用された儒学者乳井貢(にゅういみつぎ)は、算術学にも精通し、その著『初学算法』で「下の玉一つは末代遊びものにて用にたたず」と説いて四つ珠(よつだま)そろばんを提唱した。だが、明治時代に入っても五珠1つ、一珠5つの五つ珠が普及した。
 さて、寄贈者の話によれば、この二つのそろばんは黒石市立追子野木(おこのき)小学校の旧校舎解体にともなって放出されたものだという。裏にはそれぞれ「尾上小學」「追子野木校」の焼き印がある。1956(昭和31)年10月1日に追子野木地区が尾上町から黒石市に編入合併された史実を物語るものである。37(昭和12)年4月に尾上村と金田(かなた)村が合併したのにともない、尾上尋常高等小学校は金田尋常高等小学校(現平川市立金田小学校)に併合されるとともに、追子野木尋常小学校が開校した。
 そろばんを使った計算を珠算という。珠算が授業に取り入れられたのは戦前のことで、38(昭和13)年に文部省の国定教科書により小学4年生の算術の授業に暗算と珠算も指導するようになり、この時に使わせた四つ珠そろばんが、その後普及することになった。
 県立郷土館で開催中の企画展「写真展思い出のふるさと~昭和戦後のまち・むら・交通~」で展示中である。(県立郷土館学芸課副課長竹村俊哉)
※ この企画展はすでに終了しております。
by aomori-kyodokan | 2015-05-14 09:38 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第89回 青森県治一覧概表

本県発足直後のデータ

b0111910_16102799.jpg
発足間もない本県の様子がわかる「青森県治一覧概表」




 1871(明治4)年の廃藩置県により、東京・大阪・京都の3府と302県(年内に72県に整理統合)が成立した。各府県では73(明治6)年~74年頃よりそれぞれの管轄区域の人口、戸数、地勢、産物、予算、政治経済などの統計を網羅した統計書を作成した。
 この資料は74(明治7)年10月20日に県が発行した最初の統計と思われる。発足間もない青森県の様子がわかる貴重な資料と言えよう。常設展示している資料は1957(昭和32)年に県立図書館によって復刻されたものである。少し中味を見てみよう。
 県庁の本庁は青森町に置かれ、弘前元寺町及び三戸郡五戸村にそれぞれ支庁があった。当時の県内は、津軽郡・北郡・三戸郡・二戸郡の四郡に分かれていた。このうち二戸郡は76(明治9)年に岩手県に編入され、現在の区分になったのは地方行政法規である郡区町村編制法が制定された1878(明治一一)年のことで、津軽郡は東・西・中・南・北の五郡に分かれ、北郡は東京に近い南半分を上北郡、北半分を下北郡とした。
 また、青森県の総人口は47万3317人で、多い順に弘前が3万3886人、青森が1万965人、八戸が9518人、黒石が6616人、七戸が3912人、田名部が3199人であった。
ところで1884(明治17)年に内務省は「府県統計書様式」を定め、それまで各府県によってまちまちであった調査方法を統一した。以後毎年発行され、現在の青森県統計年鑑へとつながっている。
(県立郷土館学芸課副課長竹村俊哉)
by aomori-kyodokan | 2015-03-26 16:12 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第85回 勝札 

復活宝くじ第1号

b0111910_10205437.jpg
終戦直前に発行された宝くじ「勝札」の表(写真上)と裏(写真下)



 年末の楽しみに宝くじがある。毎年のように、「一等だったら家を買う。指輪も買ってあげる。」など、捕らぬ狸の皮算用の話題が楽しい。
 少額で一攫千金を狙う宝くじの原型は、江戸時代初期から寺社により開催された富くじであるが、明治になってから富くじは禁止された。宝くじが復活したのは敗戦直前の昭和二十年七月、政府が戦費の調達とインフレ抑制を目的に発行した。
 写真は復活した宝くじ第一号の「勝札」である。県立郷土館歴史展示室にて展示されている。一枚十円、一等十万円。今の物価に換算すると一枚約四千円、約四千万円となる。一枚の値段が非常に高く思われるが、発行数の六十五%、約千三百万枚が売れた。一攫千金いっかくせんきん)の夢はいつの時代も同じである。
抽選日前に敗戦を向かえた為、勝札は「負け札」と呼ばれるようになる。ちなみに、この時の当選番号は末尾が全て3であった。この勝札が県立郷土館に寄贈された理由である。
(県立郷土館学芸主査 伊藤啓祐)
by aomori-kyodokan | 2015-02-26 10:19 | ふるさとの宝物