今年、2020年の干支(えと)にちなんで、「子(ね)」の付く地名、「子ノ口」を取り上げる。
写真は、1918(大正7)年以降の戦前期に発行されたとみられる秋田顕勝会の「十和田湖 子之口の滝」という絵はがきである。現在、「子ノ口」とは、十和田湖から奥入瀬川が流れ出す場所を指す地名であるが、この絵はがきの「子之口の滝」とは銚子大滝のことである。
類似した表記は、1908(明治41)年に大町桂月が著した「奥羽一周記(十和田湖)」などにも見られるが、他の資料では、「大滝」「銚子之口の滝」「銚子の滝」「銚子滝」などとも書かれる。また、1807(文化4)年に書かれた菅江真澄の旅行記「十曲湖(とわだのうみ)」には「根の口の滝」という地名が見える。
奥入瀬川が流れ出す場所の地名は、おおむね「子ノ口」かそれに近い地名であった様子だが、1873(明治6)年に編さんされた地誌「新撰陸奥国誌」では「銚子口」「銚子の口」、松浦武四郎が1850(嘉永3)年に書いた「鹿角日誌」では「銚子の口」と表記されている。
このように、かつて「子ノ口」という地名は、奥入瀬川の源を指すものだけではなく、そこから程近い滝の名前にも冠せられた。また、「子ノ口」は、別名である「銚子之口」などに置き換えられることもあったのだろう。
(県立郷土館学芸主幹・佐藤良宣)
写真:戦前に発行された絵はがき「十和田湖 子之口の滝」(県立郷土館蔵)