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青森県立郷土館ニュース

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第3回北東北三県共同展~境界に生きた人々~東奥日報連載第3回

①末期古墳と北の集落
 飛鳥時代から平安時代前半にかけ、北東北では、末期(まっき)古墳(こふん)とよばれる墓が密集して作られた。県内では丹後平(たんごたい)古墳群(八戸市)と阿光坊(あこうぼう)古墳群(おいらせ町)が有名である。

 墓の多くは中央に木棺(もっかん)を安置した円墳で、周囲に幅1メートルほどの円形溝をめぐらせている。出土品には刀などの鉄製品、土器、各種の玉類、馬具などがあり、南からもたらされた品が多い。
 周辺には同時代の集落が分布していて、中には、有力者の居住を思わせるような大型住居跡が見つかった集落もある。

②南からやってきた逸品
 飛鳥・奈良時代の本県域では、現在の八戸市を中心に多くの集落が出現し、人口が増加したと思われる。気候が温暖化し、北東北でも稲作・畑作が容易になったためであろう。竪穴(たてあな)住居の形状や土器の種類などは南東北のものと共通性があり、南から新たな文化がもたらされたと考えられている。
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 注目されるのが、丹後平古墳群の最大の墓から出土した獅噛式(しがみしき)三累(さんるい)環頭(かんとう)太刀(たち)柄頭(つかがしら)(八戸市博物館蔵=写真)である。両面に牙(きば)をむきだした獅子をおき、周りを3個のC字環(かん)でつないでいる。金を主成分とする金属を貼り合わせたもので、朝鮮半島で6世紀ごろに作られたと考えられている。

 墓自体は8世紀前半のものだが、その100年以上も前の国外産の逸品が副葬(ふくそう)されていた点に、被葬者の権力の大きさが感じられる。
(青森県埋蔵文化財調査センター文化財保護主幹 齋藤岳)
◇       ◇
「境界に生きた人々」は9月17日(金)~10月24日(日)。9月25日(土)は記念講座。詳しくは県立郷土館017―777―1585へ
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# by aomori-kyodokan | 2010-09-27 16:36 | 企画展・特別展 | Comments(0)

第3回北東北三県共同展~境界に生きた人々~東奥日報連載第2回

①新幹線開業の副産物
 今年の12月4日、東北新幹線の新青森駅が開業するが、その工事にともない、貴重な古代の遺跡が発掘された。新田(にった)(1)・新田(2)遺跡を含む石江(いしえ)遺跡群である。

 新城川(しんじょうがわ)右岸の、標高5~8メートルの丘陵地及び沖積地(ちゅうせきち)に立地している。平安時代、九世紀後半から11世紀中頃にかけての竪穴(たてあな)住居跡、掘立柱(ほったてばしら)建物跡、溝跡、井戸跡などが検出された。特に10世紀中頃からは、集落のまわりに溝をめぐらせていたことが明らかになった。
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②少ない本県の古代遺物
 土器類では、土師器(はじき)や須恵器(すえき)のほか、擦文(さつもん)土器が出土している。ほかに、鉄滓(てっさい)や鍛造(たんぞう)剥片(はくへん)など鉄生産に関わるものがある。また、多量の木製品が出土しており、檜扇(ひおうぎ)(=写真)や荷札木簡(もっかん)・習書(しゅうしょ)木簡(文字の練習をしたものか)のほか、馬形・鳥形・刀形・族(ぞく)形などの祭祀(さいし)具が含まれていた。丘陵上の井戸跡からは、土師器とともに、木製仏具なども出土した。

 木製品の樹種同定を行った結果、ほとんどがヒノキアスナロ(ヒバ)であった。このことから、在地産の木材を利用して作られた可能性が高い。伐採年も、上限で西暦880年という数値が出ている。ヒバを利用した木製品は曲物(まげもの)や椀にも及び、多くを占めている。

 律令制の支配が及ばない地と考えられてきた青森県で、律令祭祀具に似た木製品や仏教的な要素をもつ木製品が出土したことは、当時の社会の様相を知るうえで重要である。
(青森県立郷土館 学芸主査 伊藤由美子)

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 「境界に生きた人々」は9月17日(金)~10月24日(日)。9月25日(土)は記念講座。詳しくは県立郷土館017―777―1585へ
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# by aomori-kyodokan | 2010-09-26 16:37 | 企画展・特別展 | Comments(0)

写真で見るあおもりあのとき 第8回「狭い橋を渡る2人のどかな農村風景」

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↑昭和32年6月16日、青森市筒井八ツ橋付近(安田城幸氏撮影)
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↑上の写真の現在の様子

 青森市を流れる荒川や駒込川も、かつては流路を幾度も変え蛇行していました。川沿いの農地は、流路の変更により分断され、農作業の妨げになることもありました。写真の橋も、そのために架けられたものです。橋の向こうは、ほぼ、現在の八ッ橋ニュータウンとみられ、手前が浜田玉川です。

 近所の人に聞くと、リヤカーがぎりぎり通れる狭いものだったが、だいぶ古くからあったそうです。しかし洪水のたびに流され、現在は鉄筋コンクリート製です。欄干がない頃は、自転車が落ちることがあったといいます。写真の頃は一面田んぼで、農作業帰りの二人が、夕日に照らされています。わずか50年程前ですが、この頃はまだのどかな農村の風景がありました。

 調べてみると、青森環状道路の事業化が昭和49(1974)年から。八ッ橋ニュータウンの市街化区域編入が平成6(1994)年ですから、住宅地化はそれ程昔のことではありません。しかし現在の様子と比べると、同じ場所とは思えないくらいの変わりようです。写真に写っている東岳は、なかなか見えなくなりました。
(青森県立郷土館 安田 道)



※県立郷土館は、県内の行事や街並み、農民の暮らしぶりなどを撮影した古写真を、広く県民の提供を受けるなどして収集しています。当館がこれまで集めた写真の一部を紹介しながら「ちょっと昔のあおもり」の記憶を52回にわたってたどってみます。(この項は、東奥日報社連載記事を転載したものです。)
 昔の写真などをお持ちの方は、青森県立郷土館(電話017-777-1585)までご連絡ください。
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# by aomori-kyodokan | 2010-09-23 16:14 | 写真で見るあおもりあのとき | Comments(0)