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青森県立郷土館ニュース

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「北斎の富士」新聞連載 第10回「富士を描いた場所」(完結)

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 葛飾北斎は、「富嶽三十六景」で、さまざまな場所から富士をとらえ、その近景にはその土地ならではの風景を描いています。県立郷土館で開催中の「北斎の富士」では、「『冨嶽三十六景』北斎はどこから富士を描いたか」という解説パネルも展示しています。

 この図を、現在の都道府県別でみると、全46点中、東京都内からが最多で18点・約4割でした。江戸時代富士山は、意外にも江戸の山だったのです。次に多いのは10点の静岡県、7点の神奈川県、5点の山梨県、2点の千葉・愛知両県、1点の茨城・長野両県と続きます。

 現代の東京でも、ビルの谷間に富士山が見え、はっとすることがあります。東京からは、他に比肩しうる高さの山が見えず、ひと目でそれと分かる美しい形をしているからです。江戸時代は、ほとんどの建物が平屋か二階屋でしたから、どこからでも見られたはずです。各地に特定の山が結びついたように、江戸の人にとって、遠くにいつも美しい富士山がありました。あたかも桃源郷を求めるような気持ちで向き合ったのではないでしょうか。

 「冨嶽三十六景」出版の30年ほど前、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』が刊行。本作とほぼ同時期には、歌川広重の「東海道五拾三次」も刊行されました。このころ、庶民でも旅行が可能になり、富士講・大山講が流行しました。特に大山(おおやま・標高1252メートル・神奈川県)は、より手近にある三角形の美しい山です。別名雨降山(あふりやま)とも呼ばれました。山頂に雲がかかると雨が降るともいわれ、五穀豊穣・雨乞いの神として信仰されました。富士講の代替的要素もあり、鎌倉・江ノ島観光と組み合わせて、大流行しました。その様子は、「冨嶽三十六景」の「相州仲原」「相州七里ヶ浜」「相州江ノ嶌」に描かれています。大山道は、現在の国道246号(青山通り、通称大山街道)をはじめ、各地から大山にいたる道のことで、多数ありました。

 旅がしたくても叶わない人は、本作を眺めて、気分だけ味わったのかもしれません。当時錦絵一枚十六文で、かけそばと同じでした。現代でいうと五百円前後でしょう。富士を目指して旅すれば、各地の名所ではこんな景色が見られるのかと、想像をふくらませたことでしょう。また、江戸みやげで買い求めた人もいたようです。こうした理由で東京都の次に、静岡・神奈川・山梨各県からの景色が多くなったと考えられます。

 各地から見える、春夏秋冬、様々な場面での富士山の美しさは、当時の人々に旅情をかき立てたことでしょう。
(青森県立郷土館・安田道)

※現在、青森県立郷土館では東奥日報社と共催で「北斎の富士」を下記のとおり開催しています。これに関連して、紙上に10回にわたって、見どころを紹介する記事を掲載する予定です。ご期待ください。

□期日 10月30日(土)~12月5日(日)
□時間 10月30日・31日は9時~18時(入館は17時30分まで)
      11月1日以降は9時~17時(入館は16時30分まで)
□会場 当館1階特別展示室(大ホール)
■料金 一般・大学 800円(600円) 中学・高校 400円(300円)
      小学生以下は無料 ※(  )は前売りおよび20名以上の団体料金
■問い合せ先 東奥日報社・読者事業局事業部
〒030-0180 青森市第二問屋町3-1-89 電話=017-739-1249 FAX=017-729-2352
by aomori-kyodokan | 2010-11-26 08:49 | 北斎

「北斎の富士」新聞連載 第9回「東海道吉田」

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 葛飾北斎の「冨嶽三十六景」は、富士山を描いた錦絵の傑作です。題名の三十六景に十景(通称・裏富士)を加えた、計四十六枚で構成されています。富士山を主題にしているので、色々な表情を見せる富士山や、富士山を見る人々の生き生きとした表情、そして当時の風俗や自然に目が奪われるのは当然のことでしょう。実際、来館したお客様も、一枚ずつじっくりご覧になっています。

 しかしこの「冨嶽三十六景」には、隠れた楽しみ方もあるのです。それは、「三十六景」の版元・永寿堂のマーク(傘に三つ巴)や、「永」・「寿(壽)」の字を探すというものです。例えば「23東海道吉田」では、富士山がよく見える茶屋に立ち寄った旅人の笠に、マークや「永」の字が描かれています。また、「37本所立川」では、材木に「新板三拾六景不二仕入」という文字が書かれているのです。このように版元は、絵の中にマークや文字を入れて宣伝し、版権が移ると消されました。

 一方「富嶽百景」では、一見しただけではなかなか富士山を見つけられない作品があります。「百景」ではぜひ富士山を探してみてください。本展は、所蔵者の厚意で3冊の冊子本をばらし、全102点を額装して展示しています。「百景」の全作品が一度に見られるまたとない機会と思います。

 「百景」は、色刷りではないものの、奔放な発想・構図と繊細な彫りで、「三十六景」以上に北斎の洒落っ気が味わえると思います。会場では作品保護のために照明が少し落とされていますが、全作品を一枚ずつ額装にしてあるため、じっくり作品をご覧いただけます。本物に接し、「三十六景」の版元の宣伝や、「百景」の富士山を探してみてはいかがでしょう。

 会場内で探せなかったという方には、今回の展示のために出版された図録「北斎の富士」をおすすめします。他に人気の高い絵はがきや画集など様々なグッズも、物品販売コーナーで取り扱っていますので、作品観賞後も楽しめると思います。
(青森県立郷土館解説員・坂本理恵)

※現在、青森県立郷土館では東奥日報社と共催で「北斎の富士」を下記のとおり開催しています。これに関連して、紙上に10回にわたって、見どころを紹介する記事を掲載する予定です。ご期待ください。

□期日 10月30日(土)~12月5日(日)
□時間 10月30日・31日は9時~18時(入館は17時30分まで)
      11月1日以降は9時~17時(入館は16時30分まで)
□会場 当館1階特別展示室(大ホール)
■料金 一般・大学 800円(600円) 中学・高校 400円(300円)
      小学生以下は無料 ※(  )は前売りおよび20名以上の団体料金
■問い合せ先 東奥日報社・読者事業局事業部
〒030-0180 青森市第二問屋町3-1-89 電話=017-739-1249 FAX=017-729-2352
by aomori-kyodokan | 2010-11-25 10:08 | 北斎

「北斎の富士」新聞連載 第8回「宝永山出現」

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 押しつぶされた家、逃げ惑う人々、材木の下敷きになった馬、桶や甕などとともに人までも宙に舞っていています。富士山が宝永4年11月23日(1707年12月16日)午前10時頃、駿河国(静岡県)印野村付近から噴火した、「宝永大噴火」の惨事を描いています。

 宝永大噴火の特徴は、雲仙普賢岳の噴火のような溶岩の流出ではなく、多量の軽石や火山灰を噴出するプリニー式噴火で、100㎞離れた江戸まで火山灰が降下しました。

 史料などによる噴火の推移は、最初の噴火で白色の軽石が噴出し、いったん収束した後再開し、火柱があがり火山弾や黒色スコリアが噴出しました(宮地 他2007)。噴火は断続的に17日間続き、江戸では噴火初日の午後から噴煙に覆われ細かい灰色の火山灰が降下しました。噴火前の宝永地震と合わせて死者2万人とされていますが、泥流、洪水などの被害も合わせるともっと多かったと思われます。風向きにより火口東側での被害が大きく13㎞以内では厚さ約3m前後噴出物が積もり、火口から約10km東の須走村では集落の約半分が噴出物により焼失し、残りの家屋も倒壊しました。また酒匂川の周辺地域では、その後40年間にわたって火山灰が引き起こす洪水に苦しめられました。

 宝永火口から約10㎞東に位置する静岡県御殿場市滝ヶ原(自衛隊駐屯地の北側)長坂遺跡から宝永噴火の噴出物に埋もれた農家が発掘されています(御殿場市文化財審議会,1963年)。出土状況から住居の内部には軽石は無く、炭の層を挟んで噴出物が積もっていました。軽石は住居跡の外周付近で特に厚く、家から離れると薄くなり一定の厚さになることから、最初に軽石が降下したときは屋根が残っていて、屋根から落ちた軽石が外周に積もったものと考えられます。その後降下した噴出物により屋根が燃え落ち、内部まで噴出物で埋め尽くされ、厚さは2.5mに達しました。このような調査事例は当時の様子を検証するとともに、現在のハザードマップにも生かされています。
(青森県立郷土館学芸主査:伊藤由美子)

※現在、青森県立郷土館では東奥日報社と共催で「北斎の富士」を下記のとおり開催しています。これに関連して、紙上に10回にわたって、見どころを紹介する記事を掲載する予定です。ご期待ください。

□期日 10月30日(土)~12月5日(日)
□時間 10月30日・31日は9時~18時(入館は17時30分まで)
      11月1日以降は9時~17時(入館は16時30分まで)
□会場 当館1階特別展示室(大ホール)
■料金 一般・大学 800円(600円) 中学・高校 400円(300円)
      小学生以下は無料 ※(  )は前売りおよび20名以上の団体料金
■問い合せ先 東奥日報社・読者事業局事業部
〒030-0180 青森市第二問屋町3-1-89 電話=017-739-1249 FAX=017-729-2352
by aomori-kyodokan | 2010-11-24 14:08 | 北斎

「北斎の富士」新聞連載 第7回「雪の且の不二」

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 浮世絵の風景版画は芸術的に鑑賞するほかに民俗資料としても見ることができると私は思っています。今回の「北斎の富士」に展示紹介されている「富嶽三十六景」や「富嶽百景」をみると人物や道具、家屋などが詳細に描かれており、実に興味深いものがあります。

 写真の絵は「富嶽百景」にある「雪の且の不二」(ゆきのあしたのふじ)で、雪の降った朝の様子を描いたものです。且は旦(あした)の誤りであろうといわれます。この絵には一見したところ富士山はどこにも描かれていません。実は二匹の犬が遊んでいる雪山を富士山に見立てているのです。こうした洒落た趣向はいかにも北斎らしいところかもしれません。

 さて、この絵に描かれている人物に注目してみましょう。左の人物はたすき掛けをして懸命に雪を片付けているところですが、手にしている雪かきの道具は青森県内でつい近年まで使用されていました。これを津軽地方ではケンシキといいました。

 また、右の二人の人物を見てみると、一人は笠をかぶり簑を着ています。簑は通常、雨具として用いられますが冬季には防寒具としても着用していたのです。もう一方の人物は布の頭巾をかぶりコート状の上っぱりを着て、手には傘を持ち足には高い足駄を履いています。簑の人物は沓状の履物を履いていますが、この履物は何か私には判然としません。この二人の人物で当時の冬季における代表的な服装を表現しているように思います。

 真ん中の小柄な人物はおそらく丁稚をしている小僧だとおもわれますが、大きな大人用の笠をかぶっています。桶や徳利に入った酒を配達にいくところでしょうか。このように浮世絵を芸術としての視点ばかりでなく、さまざまな視点で鑑賞できるのもこの展示会の楽しみのひとつです。
(青森県立郷土館学芸員:成田 敏)

※現在、青森県立郷土館では東奥日報社と共催で「北斎の富士」を下記のとおり開催しています。これに関連して、紙上に10回にわたって、見どころを紹介する記事を掲載する予定です。ご期待ください。

□期日 10月30日(土)~12月5日(日)
□時間 10月30日・31日は9時~18時(入館は17時30分まで)
      11月1日以降は9時~17時(入館は16時30分まで)
□会場 当館1階特別展示室(大ホール)
■料金 一般・大学 800円(600円) 中学・高校 400円(300円)
      小学生以下は無料 ※(  )は前売りおよび20名以上の団体料金
■問い合せ先 東奥日報社・読者事業局事業部
〒030-0180 青森市第二問屋町3-1-89 電話=017-739-1249 FAX=017-729-2352
by aomori-kyodokan | 2010-11-24 13:18 | 北斎

「北斎の富士」新聞連載 第6回「鳥越の不二」

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 貞享元年(1684)、従来の「宣明暦(せんみようれき)」に変わる「貞享暦(じようきようれき)」が出ると、江戸幕府は天文方(てんもんがた)を新設し(寺社奉行支配)、「貞享暦」の制作者である渋川(しぶかわ)春海(はるみ)をこの役職に就けました。こうして編暦作業は、朝廷の陰陽寮(おんみようりよう)から天文方に移りました。

 翌年、渋川は牛込藁町に「司天台(してんだい)」を設置しましたが、天文方そのものは、本所・神田駿河台・神田佐久間町・牛込袋町を転々とします。天明二年(1782)、浅草鳥越(とりごえ)に「頒暦所(はんれきじよ)」が置かれてようやく落ち着くわけですが、この時、高さ九メートルに及ぶ観測施設が併設されたことから、天文台・浅草天文台と呼ばれるようになったのです。関係者には、天文方筆頭として「寛政暦」の編集を主導した高橋(たかはし)至時(よしとき)や、シーボルト事件に関わって文政12年(1829)に獄死した高橋景保(かげやす)がいます。
 北斎が浅草明王院(みようおういん)地内の五郎兵衛店に転居したのは、天保元年(1830)のことです。 編暦・天文・測量・地誌・洋書翻訳を職務とする天文方は、当時の学問の最先端を行く場所でした。多くの人が出入りし、多くの珍しい道具を備えていました。

 敷地内の築山には四十三段の石段があり、頂上部には約五・五メートル四方の天文台が築かれていましたから、近所からも、よく目についたことでしょう。「鳥越の不二」に描かれたこの球体は「簡天儀(かんてんぎ)」といい、天体の角度などを測定する「渾天儀(こんてんぎ)」から黄道環(こうどうかん)を取り去って、簡略化したものです。手前の屋根の下には、天体の高度を測定する「象限儀(しようげんぎ)」が据えられています。

 2007年、荻原哲夫氏は、東京都公文書館が所蔵する公文書綴『順立帳』の中に天文台の絵図があると報告し、注目を集めました(「浅草天文台の詳細図を発見!」、『伊能忠敬研究』第四八号)。絵図の制作時期は弘化三年(1846)~万延年間ということですので、「富嶽百景」初編が刊行された天保五年からは、さほど離れていません。   
(青森県立郷土館研究主幹 本田伸)

※現在、青森県立郷土館では東奥日報社と共催で「北斎の富士」を下記のとおり開催しています。これに関連して、紙上に10回にわたって、見どころを紹介する記事を掲載する予定です。ご期待ください。

□期日 10月30日(土)~12月5日(日)
□時間 10月30日・31日は9時~18時(入館は17時30分まで)
      11月1日以降は9時~17時(入館は16時30分まで)
□会場 当館1階特別展示室(大ホール)
■料金 一般・大学 800円(600円) 中学・高校 400円(300円)
      小学生以下は無料 ※(  )は前売りおよび20名以上の団体料金
■問い合せ先 東奥日報社・読者事業局事業部
〒030-0180 青森市第二問屋町3-1-89 電話=017-739-1249 FAX=017-729-2352
by aomori-kyodokan | 2010-11-24 10:11 | 北斎

「北斎の富士」新聞連載 第5回「さい穴の不二」

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 この絵の中でまず目に付くのは、障子に逆さまに映った富士山とそれを見て驚く二人の人物でしょう。なぜ、障子に富士山が逆さまに映っているのでしょうか。

 実は、その答えの鍵を握っているのは箒を持っている人物で、この人物が指差している先には、雨戸に開いた小さな穴があります。絵のタイトルにある「さい穴」は「節穴」という意味で、この小さな穴のことを指しています。雨戸の外には雄大な富士山がそびえており、富士山に当たって散乱した光の一部がこの小さな穴を通り抜け、障子に上下・左右が反転した像を映し出したのです。

 このような現象は古代から知られていたようで、中世のヨーロッパでは画家が風景画のスケッチをするためや科学者が太陽などを観測するために、これを利用していたという話もあります。ただ、小さな穴を通って入ってくる光は非常に弱いため部屋を暗くする必要があり、この絵では暗い家の中として表現されていませんが、本当は雨戸を閉め切った真っ暗な状態でようやく障子に映っている富士山が確認できたと思われます。

 もう一つ、障子に映った富士山について気になることがあります。それは、像が二重に映っているということです。実験してみたところ、穴が二つ開いていれば像が二重に映ることが確認できました。箒を持った人物の指先には、穴は一つしか無いように見えますが、実際には縦に並んだ二つの穴があったのかもしれません。

 また、穴が一つしか無いとした場合の別の考え方として、富士山とその側火山である宝永山が映っていることが考えられます。宝永山は富士山の南東麓にありますので、この家が富士山の南東側にあれば富士山の手前に宝永山が見え、この絵のような山の配置になると思われます。
(青森県立郷土館主任学芸主査・島口 天)

※現在、青森県立郷土館では東奥日報社と共催で「北斎の富士」を下記のとおり開催しています。これに関連して、紙上に10回にわたって、見どころを紹介する記事を掲載する予定です。ご期待ください。

□期日 10月30日(土)~12月5日(日)
□時間 10月30日・31日は9時~18時(入館は17時30分まで)
      11月1日以降は9時~17時(入館は16時30分まで)
□会場 当館1階特別展示室(大ホール)
■料金 一般・大学 800円(600円) 中学・高校 400円(300円)
      小学生以下は無料 ※(  )は前売りおよび20名以上の団体料金
■問い合せ先 東奥日報社・読者事業局事業部
〒030-0180 青森市第二問屋町3-1-89 電話=017-739-1249 FAX=017-729-2352
by aomori-kyodokan | 2010-11-22 10:07 | 北斎

「北斎の富士」新聞連載 第4回「諸人登山」

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 古代には富士の山自体がご神体であり、人々は登らずに遠くから拝む信仰がありました。やがて山麓の中部地方や関東地方に、富士山を拝む浅間(せんげん)神社が建立され、御師(おし)たちが各地に布教を始めました。

 江戸時代になると信仰は庶民にも広がり、富士講が結成され、旧暦7月22日から8月22日まで富士山登拝が行われるようになりました。北斎が生きた18世紀半ばから19世紀半ばは、江戸市中で富士講が爆発的に流行して、八百八講が生まれたといい、講結成の禁令が出された時代でした。

 富士講の人気のひとつに、六十年に一度、女性が途中まで登山するのを認めていたことがあります。彼は「木花開耶姫命」(「富嶽百景 初編」図1)「孝霊五年不二峰出現」(同図2)「役ノ優婆塞富嶽草創」(同図3)で、富士山の神々や伝説を描いていますが、特に「諸人登山」(「富嶽三十六景」図46)「不二の山明キ」(「富嶽百景 初編」図5)「辷り」(同図6)「不二の室」(同二編図46)などでは、白装束に金剛杖を持ち不二(富士)講の笠をかぶった参詣者たちの姿と、近世から整備が進んでいた参詣道と、道中各所に設置された室(山小屋)の様子、下りの躍動感など、当時の民衆による登拝習俗を生き生きと描いており興味深いです。

 このような白衣で六根清浄を唱える登拝や、老若男女が本山登拝の代わりに登った富士塚の建立などは、本県の岩木山「お山参詣」で、近代以降に流行した白装束と模擬岩木山習俗と似ているといえます。
(県立郷土館学芸主査 小山隆秀)

※現在、青森県立郷土館では東奥日報社と共催で「北斎の富士」を下記のとおり開催しています。これに関連して、紙上に10回にわたって、見どころを紹介する記事を掲載する予定です。ご期待ください。

□期日 10月30日(土)~12月5日(日)
□時間 10月30日・31日は9時~18時(入館は17時30分まで)
      11月1日以降は9時~17時(入館は16時30分まで)
□会場 当館1階特別展示室(大ホール)
■料金 一般・大学 800円(600円) 中学・高校 400円(300円)
      小学生以下は無料 ※(  )は前売りおよび20名以上の団体料金
■問い合せ先 東奥日報社・読者事業局事業部
〒030-0180 青森市第二問屋町3-1-89 電話=017-739-1249 FAX=017-729-2352
by aomori-kyodokan | 2010-11-22 10:01 | 北斎

「北斎の富士」新聞連載 第3回「甲州石班澤 (こうしゅうかじかざわ)」

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↑変わり摺り
 県立郷土館で開催中の「北斎の富士」では、葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」全46点のすべてを展示しています。しかも今回展示の作品は、初刷(しょず)りに相当する、かなり状態の良い作品がほとんどです。

 多色木版画の錦絵(にしきえ)は、その大半が経年変化によって退色が進み、摺られた当時の色合いが失われています。また本作のような人気作は、長年にわたって数千枚摺られたといわれ、後摺(あとず)りになるほど版の摩滅が激しく、線が太くなったりかすれたりします。そのため後摺りには、色合いを変えた、変わり摺りが何種類かあるといいます。今回の「三十六景」では、4点展示しています。変わり摺りは、同じ構図でありながら、印象が変化するおもしろさがあります。

 そのうちの1点が「甲州石班澤」です。上の図が初刷りとみられ、藍色一色で描かれています。一色でありながら、濃淡による立体感・遠近感は、下の図と比べ明らかに上です。繊細な色合いは本藍のものであり、細密な彫り・絶妙の構図とあいまって、まさに世界を驚嘆させたジャパン・ブルーの美しさです。北斎は「冨嶽三十六景」で、化学合成した安価なベロ藍(プルシアン・ブルー)も使っていますが、本藍の透明な青色は表現できなかったようです。

 変わり摺りの方は、漁師と子供の着物を赤に、岸辺を緑にしたことで、背景の富士山・富士川から飛び出しているように見えます。

 波の迫力では、有名な「神奈川沖浪裏」におよびませんが、飛び散り泡立つ水の動き。漁師が放った投網と踏ん張る足の緊張感。相似形の岩と波によるリズム感。網と岩の三角が、富士の稜線と呼応する構図の妙。画面下半分の荒々しさと、上半分の富士をとりまく静謐さの対比。などなど、一見地味ですが、名人北斎ならではの作品と唸らされます。

 本展示は、作品保護のため、明るさを押さえています。時間をかけてじっくり鑑賞すれば、目が慣れ、180年前、江戸に住まう人々の一人になれるはずです。
(青森県立郷土館・安田道)

※現在、青森県立郷土館では東奥日報社と共催で「北斎の富士」を下記のとおり開催しています。これに関連して、紙上に10回にわたって、見どころを紹介する記事を掲載する予定です。ご期待ください。

□期日 10月30日(土)~12月5日(日)
□時間 10月30日・31日は9時~18時(入館は17時30分まで)
      11月1日以降は9時~17時(入館は16時30分まで)
□会場 当館1階特別展示室(大ホール)
■料金 一般・大学 800円(600円) 中学・高校 400円(300円)
      小学生以下は無料 ※(  )は前売りおよび20名以上の団体料金
■問い合せ先 東奥日報社・読者事業局事業部
〒030-0180 青森市第二問屋町3-1-89 電話=017-739-1249 FAX=017-729-2352
by aomori-kyodokan | 2010-11-18 16:45 | 北斎

「北斎の富士」新聞連載 第2回「神奈川沖浪裏」

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 俗に「赤富士」と呼ばれる「凱風快晴(がいふうかいせい)」と並んで世界的に知られた、浮世絵風景版画の最高傑作です。荒れ狂う海原、翻弄(ほんろう)される船、波が砕ける一瞬といった、非常に動きのある場面でありながら、画面構成の基本は底辺の広い三角形の安定した構図です。しかも、前景に富士山と相似の三角波、大きく円を描く波頭の砕ける落ちる先には、小さく描かれた富士、視線の動きが自然と富士に収斂(しゅうれん)していく、なんとも心憎い構成です。

描かれている船は、押送船(おしおくりぶね)と呼ばれる鮮魚運搬船です。江戸時代の船は順風のもと、帆を上げて航海するのが普通ですが、急ぎの航海では艪(ろ)だけで海をこぎ渡ります。艪をこぐことを「艪を押す」といい、「艪を押して航海し、荷物を送る船」ということから、この名がつきました。押送船は江戸近辺の漁村から江戸に向かいますが、最も重要な積み荷は鰹(かつお)です。特に値の張る初鰹の運搬に際しては、危険は覚悟の出港となります。この作品の描かれた時期は春、低気圧が通過した後の澄んだ空気、遠くに雪をまとった富士を望み、季節風の強い吹き出しで波高い神奈川沖を航海する押送船と考えられます。

 北斎は水の表現に優れていました。「千絵の海」や「諸国瀧廻り」シリーズでも、様々な水の表現を試みています。北斎は海岸で刻々と変化する海の表情をあくことなく見つめていたと伝えられます。この作品に描かれた波形は、沖合の大波というより、海岸近くでうねりが持ち上がり、まさに崩れようとする瞬間をとらえたものです。そのイメージを富士の姿と重ね合わせ、ダイナミックかつ繊細に表現したのがこの作品といえるでしょう。

 船は江戸時代の交通に大きな役割を果たしていました。北斎の描く海と河川湖沼、多種多様な船の姿は、身近に多くの船が行き交っている時代を反映しています。
(青森県立郷土館学芸課長:昆 政明)

※現在、青森県立郷土館では東奥日報社と共催で「北斎の富士」を下記のとおり開催しています。これに関連して、紙上に10回にわたって、見どころを紹介する記事を掲載する予定です。ご期待ください。

□期日 10月30日(土)~12月5日(日)
□時間 10月30日・31日は9時~18時(入館は17時30分まで)
      11月1日以降は9時~17時(入館は16時30分まで)
□会場 当館1階特別展示室(大ホール)
■料金 一般・大学 800円(600円) 中学・高校 400円(300円)
      小学生以下は無料 ※(  )は前売りおよび20名以上の団体料金
■問い合せ先 東奥日報社・読者事業局事業部
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by aomori-kyodokan | 2010-11-18 11:36 | 北斎

11月13日 開催土曜セミナー「消えた東北本線」 配布資料

 平成22年11月13日、当館小ホールに於いて、標記のセミナーが客員学芸員 中園裕氏によって行われましたが、その配布資料を下記に公開しますので、ご活用ください。

 また、毎日新聞青森版でも紹介されました。更に、生中継までご紹介いただきました。
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青森県立郷土館土曜セミナー   2010年11月13日(土) 県立郷土館にて
消 え る 東 北 本 線~沿線の歴史と魅力をさぐる!~
                  青森県環境生活部県民生活文化課
                    県史編さんグループ 主幹 中園 裕

はじめに

 ①東北本線…1891(明治24)年に青森・上野間全通。近代日本の発展に寄与。
→2010(平成22)年12月4日、青森県内の東北本線が消滅する。
 ★東北本線が青い森鉄道に=幹線から地方線へ大転換。
 ②東北新幹線の到来より、青い森鉄道開業の歴史的意義を重視。
→青森県民は私企業の新幹線より県民が負担する青い森鉄道を考える必要あり。
★青森県内には地方線が多い。青い森鉄道の問題は他の鉄道にも関係あり。
 ③県民が利用しなければ公共交通(鉄道・バス・タクシー・飛行機)は廃業。
→自動車社会とはいえ、公共交通は絶対に必要(子供や老人のためにも)。
 ★県民が“意識的に”利用する必要あり。皆が利用すれば営業も成り立つ。
 ④公共交通の利用は地域援助である。人助けだと思って利用されたい。
→青い森鉄道沿線の歴史や文化を知り、地元に愛着を持てれば利用できる?
★子供たちにも大人が地元を歩かせ鉄道やバスに乗せる工夫を。
 本発表で、自動車では見えない地元の歴史や魅力を知って欲しい。

1.青森県の近現代を支えた東北本線
 ①当初はいやがられた鉄道…八戸駅の帰趨。
→明治24年開業当時は尻内駅。昭和46年に八戸駅と改称。
 東北本線を八戸町のどこに通すかで日本鉄道と陸軍省が対立。尻内駅誕生。
★東北本線や新幹線は街並み発展に寄与。今も八戸と本八戸の距離が問題。
 ②鉄道が駅と繁華街を形成…「県南の要衝」剣吉駅と「東北の熱海」浅虫駅。
→明治30年開業。駅開設以降、駅前通りが形成され商店街も成立。
★剣吉駅は県南要衝の地で道路舗装も早かった(昭和10年)。
→明治24年開業。当時の浅虫は静かな湯治場だったが鉄道開通で有名に。
★昭和61年に浅虫温泉駅と改称。東北本線沿線で数少ない海の景勝地。
 ③地域を支えた鉄道…浦野館村の中心たる沼崎駅と七戸の関係。
→明治24年開業。七戸との間を荷馬車が往復し七戸地域周辺の玄関口に。
★七戸十和田駅の開業で七戸~上北町(乙供)~小川原湖の流通体系に期待。
 ④貨物輸送が重視されていた国鉄…軍需物資を集積し輸送した野内駅。
→明治26年開業。石油備蓄タンク併設、上北鉱山の鉱石を集積輸送。
国鉄はもともと国や軍のために敷設された鉄道。物資輸送が重視。
★青い森鉄道時代には駅を移転し青森工業高校生を中心に民事利用に転換。
 ⑤鉄道と青森県のりんご輸送…南部りんご最大の輸送駅だった三戸駅。
→明治24年開業。三戸周辺の中心駅。昭和59年に貨物輸送を中止。
 国鉄経営合理化やトラック輸送で貨物業務は昭和30年代以降廃止が相次ぐ。
 ★貨物輸送が駅周辺の経済基盤を維持。農林水産業県の青森県は特に顕著。
  青い森鉄道時代の駅は三戸駅ですら売店を撤去。観光対策上も問題。
 ⑥観光と鉄道…白樺の駅=古間木駅(昭和36年に三沢駅と改称)。
→明治27年に開業。昭和9年に白樺の丸太を使った駅舎に改築。
 現在も「白樺の駅」の一部は三沢駅旅行センターとして活用。
★十和田湖の国立公園運動に因み古間木駅も観光路線を意識。
 ⑦東北本線の複線電化…消えた浦町駅と浪打駅。
→高度経済成長に伴う好景気を背景にレジャーブームが生まれる。
 昭和33年に東北地方初の特急「はつかり」が登場、35年にディーゼル特急へ。
 東北本線の輸送力増加に応えるため複線電化を実現。
 ★東北本線は高度経済成長期の青森県を支えた大輸送路に(=流通革命)。
→浦町駅は明治26年開業(旧線路通りが当時の鉄道跡)。
 大正15年に操車場ができ、浦町駅自体もやや南方へ移転。
 昭和43年の複線電化により浦町駅は廃止され平和公園に。
→浪打駅は大正13年開業。浦町・浪打両駅の代わりに東青森駅が開業。
★青森市内の東北本線複線電化は青森市街地の発展と大きな関係がある。
 鉄道は街の拡大発展に貢献し、同時に支障を来す存在でもあった。
 ⑧青森駅の歴史は県都青森の歴史…明治24年開業。
→初代…安方通りに出入口(安方駅)。後に駅前へ船入場を建設。
 2代…明治39年改築。新町通りに出入口。築港後は桟橋と可動橋を併設。
 3代…昭和10年開業。戦災を免れた木造駅舎。連絡船は空襲で壊滅。
 4代…現駅舎。昭和34年新築でコンクリート製。

2.青森県内から消える東北本線(青い森鉄道の開業)
 ①交通網の高速化と自家用車の普及…鉄道の役割に大きな変化が生じた背景。
→航空機や高速道路網の発展が鉄道に打撃。最近では高速道路無料化も。
 ★近距離輸送は自動車が担い、貨物輸送はトラック輸送が主役。
 貨物輸送の赤字と合理化政策で国鉄の貨物が廃止。国鉄の経営に支障。
 ②国鉄の民営化…国家発展ための鉄道から企業が採算を重視する鉄道へ。
→国鉄の合理化政策と民営化(JR)で地域と鉄道の関係が大きく変容。
 国益より企業利益を重視。採算がとれない路線は廃止。国民生活は二の次。
★鉄道が近代国家の発展を支え、地域経済に活力を与えた時代は終わった。
 ③東北新幹線の新青森開業…JRは採算のとれない東北本線を放棄?
→JR東日本は首都圏と東北・北海道を結ぶ高速交通機関の役割を担う。
★地域間輸送の役割は自動車が担い、鉄道は遠距離輸送に集約する時代。
 青森県の近代化を支えた東北本線を、今度は青森県が支えることに。
 青い森鉄道の開業は地域が鉄道を支える時代に入ったことを意味しよう。

3.青い森鉄道沿線の歴史と魅力
①八戸…旧尻内駅、臨海工業地帯は近代化遺産、五戸・種差方面への玄関口。
②北高岩…馬淵川と名久井岳と新幹線の高架橋が織りなす眺望の地。
③苫米地…名久井岳と馬淵川の眺望の地、旧福地村の記憶、バーデパーク。
④剣吉…剣吉館、古来から交通の要衝、達者村や法光寺への玄関口。
⑤諏訪ノ平…名久井岳の麓、菊の里、果物王国、諏訪神社。南部蕎麦。
⑥三戸…城下町風情、城山公園、佐瀧本店、川の駅、きんか餅、南部せんべい。
⑦目時…青岩橋の眺望、蓑ヶ坂、秘境の様相を見せる馬淵川、岩手県境。
⑧金田一温泉…座敷童、古い街並み、のどかな温泉、馬淵川の絶景。
⑨陸奥市川…進駐軍と深い関係、数少ない占領時代の遺構、東北の白像。
⑩下田…下田館、江戸時代の知行地、いちょう公園、奥入瀬川、桃川酒造。
⑪向山…氣比神社、絵馬市と蒼前信仰、牧場地帯、カワヨグリーン牧場。
⑫三沢…米軍基地、アメリカ文化、古牧温泉、海岸と草原、ミスビードル号。
⑬小川原…小川原湖、姉沼、ワカサギ漁。
⑭上北町…七戸十和田駅との流通、小川原湖、小川原湖温泉郷、ワカサギ料理。
⑮乙供…上北鉱山への出入口、乙供森林鉄道、東北温泉、東龍館(低温温泉)。
⑯千曳…南部縦貫鉄道跡地、何も施設がない駅の良さを満喫。
⑰野辺地…愛宕公園、駅弁(とりめし)、地豆腐と地納豆、馬門温泉。
⑱狩場沢…藩境塚、海岸よりで眺めのよい駅(海が少ない青い森鉄道)。
⑲清水川…海岸沿いの駅、海産物の集積地、ナマコとホタテ。
⑳小湊…浅所松島、夜越山、汐立川、白鳥飛来地、可動橋のあった港。
21西平内…夏泊半島、療養の地(国立療養所)、浅虫温泉との縁。
22浅虫温泉…海の温泉、浅虫八景。久慈良餅と地豆腐。
23野内…石油タンク、上北鉱山の索道、新野内駅への移転あり。
24矢田前…東北線複線電化と跡地の歴史、合浦公園。
25小柳…青森市街地発展の証拠、歴史的な団地群、浪打駅と浦町駅の存在。
26東青森…東北線複線電化、第5連隊や青森操車場の歴史。
27青森…闇市とりんご市場が原点、流通都市の象徴、青函連絡船。
28新青森…新幹線、秋田県北や「半島」の玄関口。

おわりに 青い森鉄道を守るのは県民 ~鉄道やバスに乗ることは人助けである~
 ①青い森鉄道は県民が支える県民のための鉄道。
→子供と老人には特に必要な交通手段。単に赤字だから廃止ではだめ。
 青森県の観光地化が叫ばれている中、鉄道の果たす役割は大きい。
★観光客に利用されるよう青い森鉄道会社の経営工夫は不可欠だが…。
 地域の交通網を残すため県民皆が乗って経営を支えることが第一。
 ②自動車社会で県民が鉄道やバスを使うための工夫は? 
→自動車は便利だが、地域の鉄道やバスは子供や高齢者に必要不可欠。
 ★自分もいずれ老人になることを考え、今から少しでも協力して欲しい。
 ③決められた時間枠で活動する生活も必要。
→本数の少ない鉄道やバスでは生活困難。自由が利く自動車が便利なのは事実。
 決められた時刻表の範囲内で動ける場合は鉄道やバスを使ってほしい。
 ★自由が案外無駄な時間を作っている。制限が規律正しい生活を可能に。
低価格と効率だけでは人間生活が貧相になる。有意義な時間の使い方を。
 ④生活手段では無理でも、休日や旅行での利用を心がけて欲しい。
→鉄道は車窓を楽しめる。旅行気分になることも可能。酒を飲んでも大丈夫。
 地球温暖化を防ぐために鉄道やバスを利用。地球の維持に貢献して欲しい。
 本日の発表で紹介した沿線の歴史や魅力を知るために鉄道を利用されたい。
 ★鉄道やバスに乗ることは、人助けであり、地域助けである!!!

【関連サイト】
「新幹線時代への道標」

by aomori-kyodokan | 2010-11-14 09:22 | 土曜セミナー