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青森県立郷土館ニュース

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カテゴリ:ふるさとの宝物( 135 )

ふるさとの宝物 第95回 縄文式注口土器

「ハレ」の器 中身は酒?

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縄文式注口土器(岩手県二戸市出土、県重宝)


  「注口土器」は字面どおり注ぎ口が付いた土器のことである。青森県を含む東北地方で最も多くつくられたのは縄文晩期亀ヶ岡式、特にその前半期である。亀ヶ岡式では丸い胴がつぶれ、そろばん玉のような形をとる。現在の急須をイメージさせる形態で、液体を注ぐものと考えられている。
亀ヶ岡式土器には文様で飾られた、あるいは光沢を放つほど磨き上げられた精製土器と、縄文だけを付けた粗製土器がある。粗製土器は数も多く「ケ」の器、精製土器は数も少なく、「ハレ」の器と考えられている。
注口土器に粗製土器はないからハレの器である。注口土器から注がれた液体の中味を科学的に証明することは難しいが、個人的には酒であって欲しい。亀ヶ岡式の注口土器は普通、径10cmから20cm前後、本品は径28cmほどもあり、大型である。多くの人が集まるマツリの席で酒がふるまわれたのだろうか、そんな想像を禁じ得ない。
(青森県立郷土館 主任学芸主査 中村哲也)
by aomori-kyodokan | 2015-05-21 12:56 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第94回 五つ珠そろばん

裏に学校名の焼き印

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五つ珠そろばん。上は「追子野木校」(写真右上)、下は「尾上小学」(写真右下)の焼き印が裏側にある


 そろばんは、東南アジア諸国で使われている計算器具で、日本には室町時代末期に中国から伝わったという。中国では重さの単位に16進法が採用されていたことから、伝来当時は五珠(ごだま)2つ、一珠(いちだま)5つの五つ珠そろばんが使われていた。江戸時代中期、弘前藩の宝暦改革に登用された儒学者乳井貢(にゅういみつぎ)は、算術学にも精通し、その著『初学算法』で「下の玉一つは末代遊びものにて用にたたず」と説いて四つ珠(よつだま)そろばんを提唱した。だが、明治時代に入っても五珠1つ、一珠5つの五つ珠が普及した。
 さて、寄贈者の話によれば、この二つのそろばんは黒石市立追子野木(おこのき)小学校の旧校舎解体にともなって放出されたものだという。裏にはそれぞれ「尾上小學」「追子野木校」の焼き印がある。1956(昭和31)年10月1日に追子野木地区が尾上町から黒石市に編入合併された史実を物語るものである。37(昭和12)年4月に尾上村と金田(かなた)村が合併したのにともない、尾上尋常高等小学校は金田尋常高等小学校(現平川市立金田小学校)に併合されるとともに、追子野木尋常小学校が開校した。
 そろばんを使った計算を珠算という。珠算が授業に取り入れられたのは戦前のことで、38(昭和13)年に文部省の国定教科書により小学4年生の算術の授業に暗算と珠算も指導するようになり、この時に使わせた四つ珠そろばんが、その後普及することになった。
 県立郷土館で開催中の企画展「写真展思い出のふるさと~昭和戦後のまち・むら・交通~」で展示中である。(県立郷土館学芸課副課長竹村俊哉)
※ この企画展はすでに終了しております。
by aomori-kyodokan | 2015-05-14 09:38 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第93回 家印

家の呼び名や格を表す
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家の呼び名や格を表す


 民具を観察していると、刻印や焼き印を見つけるときがある。写真は展示資料から見つけた印で、左はヤマモト、右上はカクナカ、右下はリュウゴ(立鼓)と呼んだものと思う。建物や船、墓、道具類などに、それを所有する家を示すため付けられたもので、民俗学では家印と呼んでいる。印の呼び名が世間での家の呼び名になり、カネサ、ヤマサなど大店の屋号や商標にも用いられた。
 同族の家は同じ印を使うことが多く、家の新旧、本分家などの区別をヤマイチ、ヤマニというように数字などを付けて示したので、家印からその家の社会的な位置付けを推測できる場合もある。農具をほったらかしていると、家印からどこの家の農具かすぐ判り、その家の評価にも関わってくると教わったことがある。印を付けることは、日々の生活態度に責任を持つことでもあるということであろう。
 民具に刻まれた印は、ムラではどんな意味を持っていたのか、どんな人が使っていたのかなど、いろいろな事を考えさせてくれる。
(県立郷土館学芸課長 古川実)
by aomori-kyodokan | 2015-04-30 09:13 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第92回 ニトベギングチ

新渡戸氏が採集、名前に


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「ニトベギングチ」(白神山地)


蜂と言うとスズメバチ、刺されると連想する方が多い。しかし、蜂は国内で約4500種もの種類が生息しており、その形態や習性は多種多様である。
 幼虫の餌を捕まえてくる狩り蜂の仲間に、青森県に縁のある先人の名前が付いた「ニトベギングチ」と言う蜂が生息している。名前のように、新渡戸稲造先生の従兄弟にあたる新渡戸稲雄氏(1883(明治16)年~1915(大正4)年)が青森県内で採集した蜂で名前がついた。
 新渡戸稲雄氏は,1900(明治33)年に設立された青森県農事試験場の初代害虫掛に就任し、特にリンゴの害虫駆除に従事している。当時、東北帝国大学農科大学(現北海道大学)の昆虫学者松村松年先生に多くの昆虫の同定を依頼している。その中の新種の狩り蜂に「ニトベ」の名前が献名された。ニチベギングチは体長15ミリメートル前後で、その詳しい生態は白神山地のブナ林で確認された。ブナの枯れ木に向かって、大型の蛾を狩って抱えて飛んでくる。そしてブナに開けた穴から奥に引き込み、その蛾に産卵し幼虫の餌にする。営巣には適度に腐朽した立枯樹と幼虫の餌となる大型蛾類の生息の環境条件が必要である。このニトベギングチは全国的に希少な種類で絶滅が危惧される。
(学芸員 山内智)
by aomori-kyodokan | 2015-04-16 09:08 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第91回 鈴木正治 エンボス「栗と虫」の原版

手作業で刻み込んだ線

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エンボス「栗と虫」の原版


 「本当の形が最高だと思う。人間が手をかけたほうがいやみだ。だからそのいやみな部分はなるべく少なくしたい。」「展覧会などに行くと『手を触れないで下さい』と札があるでしょう。あれがなにか拒否されたようですごくいやだ。だから自分では、いくら触っても構わない、踏んだり蹴ったりしてもいい形をつくりたいと思った。」これは鈴木正治の願いである。
 鈴木正治が亡くなってから今年で5年目。齋藤葵和子氏に寄贈していただいた2000点に及ぶ作品の中から200点ほどを選び、平成27年3月14日(土)から青森県立郷土館大ホールにて「彫刻家・鈴木正治の世界展」を開催している。
 今回、初めて展示されているのがエンボス(空刷り)の原板となる銅版である。エンボスは版面にインクを付けずプレスなどで凹凸を刷り出す方法。鈴木はほかの芸術家のように、銅版に硫酸などの薬品を使用せず、手作業で細かい線を刻み込んでいる。鈴木正治のマクロとミクロの世界を自分の目で見る楽しみがこの展示会にはある。ぜひ鈴木正治の世界に浸っていただきたい。
(県立郷土館 学芸主査 伊丸岡 政彦)
※ なお、この企画展はすでに終了しております。
by aomori-kyodokan | 2015-04-09 08:58 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第90回 イソカニムシ

海岸の石の裏にひっそり

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「イソカニムシ」(今別町高野崎)




 地面の中には、陸上以上に多く生き物が生活している。モグラ,ミミズ,蜘蛛や昆虫等その種類も形態も多種多様である。
 微少動物であるカニムシは、体長が数ミリでクモ類の仲間である。カニやサソリのような1対のハサミ(触肢)と4対の足(歩脚)を持っている。落葉中、土壌中、樹皮下等の様々な環境にすみ、ハサミでシミ、ダニ等の微少動物等を捕まえて食べる。危険を感ずるとなぜかこのハサミを体に密着させて後退で逃げるが、この印象的な姿から「アトビサリ」とも呼ばれている。国内から70種ほど知られている。
 海岸の石や流木をひっくり返すと、その裏に張り付くように潜んでいる「イソカニムシ」を見ることができる。海岸性のカニムシで体長4~5ミリとカニムシの中では大型種である。砂浜と海辺植物の境界線辺りから見つけることができる。本県では外ヶ浜町龍飛崎、深浦町椿山・森山、今別町高野崎、平内町大島、横浜町家ノ前川目、東通村尻屋等ほど全域の海岸で確認されている。
 普通に見られるイソカニムシだが、その形態は特異である。ぜひ、海岸に行ったら石の下を覗いて欲しい。興味深い世界が見られるかもしれない。
(県立郷土館学芸員 山内智)
by aomori-kyodokan | 2015-04-02 16:13 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第89回 青森県治一覧概表

本県発足直後のデータ

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発足間もない本県の様子がわかる「青森県治一覧概表」




 1871(明治4)年の廃藩置県により、東京・大阪・京都の3府と302県(年内に72県に整理統合)が成立した。各府県では73(明治6)年~74年頃よりそれぞれの管轄区域の人口、戸数、地勢、産物、予算、政治経済などの統計を網羅した統計書を作成した。
 この資料は74(明治7)年10月20日に県が発行した最初の統計と思われる。発足間もない青森県の様子がわかる貴重な資料と言えよう。常設展示している資料は1957(昭和32)年に県立図書館によって復刻されたものである。少し中味を見てみよう。
 県庁の本庁は青森町に置かれ、弘前元寺町及び三戸郡五戸村にそれぞれ支庁があった。当時の県内は、津軽郡・北郡・三戸郡・二戸郡の四郡に分かれていた。このうち二戸郡は76(明治9)年に岩手県に編入され、現在の区分になったのは地方行政法規である郡区町村編制法が制定された1878(明治一一)年のことで、津軽郡は東・西・中・南・北の五郡に分かれ、北郡は東京に近い南半分を上北郡、北半分を下北郡とした。
 また、青森県の総人口は47万3317人で、多い順に弘前が3万3886人、青森が1万965人、八戸が9518人、黒石が6616人、七戸が3912人、田名部が3199人であった。
ところで1884(明治17)年に内務省は「府県統計書様式」を定め、それまで各府県によってまちまちであった調査方法を統一した。以後毎年発行され、現在の青森県統計年鑑へとつながっている。
(県立郷土館学芸課副課長竹村俊哉)
by aomori-kyodokan | 2015-03-26 16:12 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第88回 「横たわるトルソー」

豊かな才能感じさせる

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鈴木正治 「横たわるトルソー」




 彫刻家・鈴木正治の作品は、青森市内のあちこちで出会うことができる。浅虫水族館の入り口付近や、青い森公園の中、青森県総合社会教育センター内の庭、某うなぎやさん、某病院の前などなど。我々にとってなじみ深いこの作家の作品約二千点が、2014年1月、長年にわたり鈴木正治の制作活動を支援してきた斎藤葵和子氏によって、当館へ寄贈された。その中には、鈴木の代表作といわれる「誕生」と「ウゴカズ」の他にも、魅力的な彫刻作品が数多く含まれていて、石彫「横たわるトルソー」もそのひとつである。
 この作品は大理石を素材とした両手で抱えられるぐらいの大きさ(1970年制作、縦15㎝、横30㎝)である。大理石ならではの質感が、まるで人間の肌のようななめらかさをたたえている。女性の体の持つ柔らかな曲線がこれほど美しくしかも重量感たっぷりに表現されていることの驚き。おへそのわずかなくぼみのかわいらしさ。しばし、見入ってしまう魅力にあふれている。これまで、様々な鈴木作品を見てきたつもりでいたが、あらためて鈴木正治という彫刻家の才能の豊かさを再確認させてくれた一点である。
 この作品は、3月14日より開催している「斎藤葵和子コレクション寄贈記念企画展彫刻家・鈴木正治の世界」に展示中である。
(前県立郷土館副課長 對馬恵美子)

※ この企画展はすでに終了しました。
by aomori-kyodokan | 2015-03-19 15:59 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第87回 バオリ

地域ごとに異なるつくり

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デザインなどが異なる2つのバオリ


 日々の作業はもちろんのこと、祭事・芸能と事あるごとに笠を被るのは、日本文化の特色の一つかも知れない。菅笠、市女笠、三度笠など日本の笠の形状や用途は多様である。写真の笠はバオリといい、手前が五戸町浅水、奧は新郷村戸来(へらい)から昭和40年代に寄贈されたものである。藺草(いぐさ)を素材にした編み笠で、農作業時の日除けに使われた。
 二つのバオリを見比べてみると、笠の縁の反り具合や幅が異なっている。奧のバオリには、飾り編みを入れた部分もある。男物と女物との違いであろうか。同じ河川の上流と下流に位置する両町村であるが、バオリを編む技術や趣向には、地域的に微妙な違いがあったのだろうか。
 バオリの製作は一時期途絶え、編む技術も消滅したかに思われたが、近年、十和田市と五戸町で有志が継承活動を行っているという。個性豊かなバオリが田畑や街角など、あちこちで見られるならば、きっと楽しい光景になるものと思う。
(県立郷土館学芸課長 古川実)
by aomori-kyodokan | 2015-03-12 10:30 | ふるさとの宝物

ふるさとの宝物 第86回 十三ネゴ

海藻を編んだ布団

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海藻を編んで作られた「十三ネゴ」


 寒い冬。かつての人々はどんな夜具を使用していたのだろう。写真は津軽地方で使われていた布団。綿布団やワラ布団ではない。材料は「海藻」である。
「子どもの頃、ハラ空いて眠ってるうぢに無意識にフトンばカジったもんだ。海藻で作ってあるがら、噛めば味コ出るんだ」(つがる市木造柴田、80代男性)。
十三湖で採れた藻(水草)を細縄でムシロ状に編んだもので「十三ネゴ」と呼ばれた。繊維が細かいのでフカフカとして温かく、いわば厚手の毛布のようなものである。冬が近づくと、十三湖近辺の集落から川をさかのぼり、舟や徒歩で「十三ネゴ」を売る老人がやってきた。「十三のネゴ屋だって、腰コ曲げだジサマ来たもんだネナ。ショイコで背負って、ネゴ売りだってノ」(同市木造平滝、80代女性)。
保温性に優れているので、納豆やどぶろく作り、種籾の保温、漬物や野菜の凍結防止、馬や人の防寒着など、夜具として以外にもさまざまな場面で活用された。
(県立郷土館研究員 増田公寧)
by aomori-kyodokan | 2015-03-05 10:26 | ふるさとの宝物