雪や、雪や、と響く「雪売り」の声が、港町青森に夏の訪れを告げる。南にそびえる八甲田の山肌にまだ雪が残る6月。100年ほど前までは、市内浦町(うらまち)近在の人々がこの残雪を採り、市中で売り歩いたという。山の雪には、心身を健やかに保ち、病や災いを除く、あらたかな力が秘められていると考えられていた。人々は堅い雪の塊を頬張り、健康と安全をいのった。
青森市の雪売りが途絶えたのは大正期である。幾度も危機はあった。1880(明治13)年、日銭を稼ぐこの小さな商いに5円もの営業税がかけられるとのうわさが広まり、雪売りの姿がひととき、町から消えた。実際はデマだった。1999(明治32)年に赤痢が大流行(本県の患者約1万6千人、うち約2800人死亡)すると、雪や氷の飲食が感染症の元になるという啓発が、より強くなされるようになった。翌年、氷雪の販売を取り締まる規則が定められたことは、直接的な打撃となった。
そして大正期。「雪売り爺イのなつかしい姿は、何時の頃よりか(青森の)市中に見る事ができなくなつた。そしてあの山の精霊の籠る白雪の冷たさは二度と味はへぬ」ものとなってしまった(1925=大正14年の「東奥日報」より)。八甲田の雪売りにまつわる記録はほとんど残されていない。
(青森県立郷土館学芸主査・増田公寧)
写真:切り出された白い雪と八甲田の山並み。
港町青森に夏の訪れを告げた「雪売り」も大正期に姿を消した=令和2年6月上旬筆者撮影
もっと詳しく知りたい方は……
「青森県における製氷と氷雪利用」(青森県立郷土館研究紀要)をご覧下さい。