惨事を今に伝える資料

雪中行軍の生存者11人を撮影した写真
1902(明治35)年1月、青森の歩兵第5連隊と弘前の歩兵第31連隊は、ロシアとの戦争を予想して、厳寒期の耐寒訓練を同じ時期に実施した。雪中行軍が実施された1月23日から25日頃の天候は観測史上最悪で、当時の天気図を見ると西高東低の厳しい冬型を示しており、北海道旭川では氷点下41度、青森でも氷点下12度を記録した。
案内人をつけ、耐寒装備も十分であった31連隊は、八甲田山を越え、青森市に至る行軍に無事成功した。一方、第5連隊は冬山に対する認識が甘く、案内人を付けず、兵士の装備も不完全であったため、惨事を招いたのであった。遭難者の多くは凍傷のほか、低体温症に陥り、狂乱して死亡した者もいた。210名の兵士のうち、生存者はわずかに11名であった。この写真は、雪中行軍から生還した兵士たちを撮影したものである。多くは凍傷で手足を失い、義手・義足をつけている。
(県立郷土館学芸課副課長 竹村俊哉)
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