地滑りの現場
青森市浅虫の津軽高野山付近に設けられた高野下仮停車場の様子
1966(昭和41)年7月27日夜、国鉄東北本線浅虫駅(現 青い森鉄道浅虫温泉駅)から野内寄りに少し進んだところで地滑りが発生し、現場付近の鉄道は不通になりました。
国鉄は、バスによる旅客の代行輸送を浅虫-青森間で始めましたが、毎年のねぶた祭りに加え、この年は全国高校総体による交通規制があったため、民営バスによる応援が困難になり、別の方法がとられました。それは、浅虫―野内間に高野下仮停車場を設け、浅虫-高野下間を代行バスで結ぶというものです。高野下-青森間には臨時列車が運転されました。代行バスを介して、東北本線の交通は、かろうじてつながりました。
復旧作業は土砂の崩落が続いたため難航しましたが、8月22日夕方には浅虫の災害現場の線路が復旧し、26日ぶりに運行を再開しました。すでに始まっていた東北本線の複線電化に向けた改良工事は、災害を受けて予定が繰り上げられ、浅虫付近の線路は1967(昭和42)年3月、現在のルートに変わりました。山側には新しいトンネルが作られ、地盤が軟弱な災害現場を含む海沿いの旧ルートは廃止されました。
(青森県立郷土館・佐藤良宣、写真はともに藤巻健二氏撮影。)