
↑恐山でイタコの口寄せに聞き入る参拝者たち

↑境内の砂を拾う人々=2枚とも昭和41年、野坂千之助氏撮影
「死者を降ろすイタコはいつも恐山にいる」と誤解している人が少なくありません。実際のイタコは、ふだん県内各地に在住して地域で活動しています。イタコが恐山大祭に集まるようになったのは近代からです。確かに明治・大正期のころには「恐山は亡き人に会える場」という信仰があり、明治29年(1896)6月に岩手県沖で明治三陸地震と大津波が発生し、約2万5千人の死傷者が出た翌月には「故人に会いたい」という遺族たちが恐山を参詣しました。しかし当時の恐山にイタコはおらず、境内の地獄や賽の河原を歩きながら故人を感じ、ときに声が聞こえるという信仰があったようです。
現在の民俗学研究によれば、イタコが恐山で死者を呼ぶ「口寄せ」を始めたのは大正末期か昭和初期からで、昭和20年代末から記録に現れはじめ、昭和3,40年代にマスコミによる「恐山のイタコ」イメージが全国的に有名になったことが判明しています。この写真はその恐山ブームが始まった昭和41年に撮影されたもので、恐山境内の砂を拾う人々が写っています。かつては恐山の砂を家の仏壇の線香立てに使う人がいたといいます。
しかし近年は境内の土砂や草木類、奉納物を持ち帰ることは厳しく忌まれており「恐山の記念に小石をひろってバスに乗ったら、エンジンが動かなくなった」という世間話まで生まれており、恐山とイタコにまつわる人々の願いと信仰は、時代とともに変化しています。
(青森県立郷土館 小山隆秀)
※青森県立郷土館では、県内の行事や街並み、農民の暮らしぶりなどを撮影した古写真を、広く県民の提供を受けるなどして収集しています。当館がこれまで集めた写真の一部を紹介しながら「ちょっと昔のあおもり」の記憶をたどってみます。(この項は、東奥日報社連載記事を転載したものです。)
昔の写真などをお持ちの方は、青森県立郷土館(電話017-777-1585)までご連絡ください。
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