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青森県立郷土館ニュース

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写真で見るあおもりあのとき 第34回「マイカー時代予測? 3本橋だった堤橋」

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 写真は、2枚とも昭和32年6月撮影のものです。上の写真は、三本橋だった青森市の堤橋です。自動車用は中央の1本のみで、片側1車線づつ。両脇の2本は自転車と歩行者用の橋でした。ずいぶん贅沢な使い方と思っていましたが、下の写真を見て納得しました。

 下の写真は堤橋以西の国道4号です。自動車用は中央のみで、街路樹の両脇は自転車用なのが分かります。さらに両脇には、街灯がついた歩道が設けられています。写真には自動車は1台も見られず、2人乗りバイク1台の他は、リアカー・自転車・歩行者のみです。早朝だったこともありますが、それにしても当時の国道が必要以上に広い通りだったことが確認できます。しかしこの直後、マイカー時代が到来します。現在片側3車線でも広すぎるという人はいません。改めて当時の国道設計者の先見性に驚かされます。

 堤町で国道と交差する松原通りは、当時青森南方から市街地に入る、最も一般的で唯一のバス通りでした。この堤川・荒川西側に沿った道は、かつて大豆坂通(まめさかどおり)(浪岡街道)とも呼ばれました。当時国道以北の川端には市場があり、映画館も2館ある商店街でした。八甲田大橋・観光通りが昭和44(1969)年に開通し、大通りになったことから、堤町付近の賑わいはだいぶ失われてしまいました。
(青森中央高等学校教諭:安田道)



※県立郷土館は、県内の行事や街並み、農民の暮らしぶりなどを撮影した古写真を、広く県民の提供を受けるなどして収集しています。当館がこれまで集めた写真の一部を紹介しながら「ちょっと昔のあおもり」の記憶を52回にわたってたどってみます。(この項は、東奥日報社連載記事を転載したものです。)
 昔の写真などをお持ちの方は、青森県立郷土館(電話017-777-1585)までご連絡ください。
by aomori-kyodokan | 2011-04-14 09:00 | 写真で見るあおもりあのとき
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