押しつぶされた家、逃げ惑う人々、材木の下敷きになった馬、桶や甕などとともに人までも宙に舞っていています。富士山が宝永4年11月23日(1707年12月16日)午前10時頃、駿河国(静岡県)印野村付近から噴火した、「宝永大噴火」の惨事を描いています。
宝永大噴火の特徴は、雲仙普賢岳の噴火のような溶岩の流出ではなく、多量の軽石や火山灰を噴出するプリニー式噴火で、100㎞離れた江戸まで火山灰が降下しました。
史料などによる噴火の推移は、最初の噴火で白色の軽石が噴出し、いったん収束した後再開し、火柱があがり火山弾や黒色スコリアが噴出しました(宮地 他2007)。噴火は断続的に17日間続き、江戸では噴火初日の午後から噴煙に覆われ細かい灰色の火山灰が降下しました。噴火前の宝永地震と合わせて死者2万人とされていますが、泥流、洪水などの被害も合わせるともっと多かったと思われます。風向きにより火口東側での被害が大きく13㎞以内では厚さ約3m前後噴出物が積もり、火口から約10km東の須走村では集落の約半分が噴出物により焼失し、残りの家屋も倒壊しました。また酒匂川の周辺地域では、その後40年間にわたって火山灰が引き起こす洪水に苦しめられました。
宝永火口から約10㎞東に位置する静岡県御殿場市滝ヶ原(自衛隊駐屯地の北側)長坂遺跡から宝永噴火の噴出物に埋もれた農家が発掘されています(御殿場市文化財審議会,1963年)。出土状況から住居の内部には軽石は無く、炭の層を挟んで噴出物が積もっていました。軽石は住居跡の外周付近で特に厚く、家から離れると薄くなり一定の厚さになることから、最初に軽石が降下したときは屋根が残っていて、屋根から落ちた軽石が外周に積もったものと考えられます。その後降下した噴出物により屋根が燃え落ち、内部まで噴出物で埋め尽くされ、厚さは2.5mに達しました。このような調査事例は当時の様子を検証するとともに、現在のハザードマップにも生かされています。
(青森県立郷土館学芸主査:伊藤由美子)
※現在、青森県立郷土館では東奥日報社と共催で「北斎の富士」を下記のとおり開催しています。これに関連して、紙上に10回にわたって、見どころを紹介する記事を掲載する予定です。ご期待ください。
□期日 10月30日(土)~12月5日(日)
□時間 10月30日・31日は9時~18時(入館は17時30分まで)
11月1日以降は9時~17時(入館は16時30分まで)
□会場 当館1階特別展示室(大ホール)
■料金 一般・大学 800円(600円) 中学・高校 400円(300円)
小学生以下は無料 ※( )は前売りおよび20名以上の団体料金
■問い合せ先 東奥日報社・読者事業局事業部
〒030-0180 青森市第二問屋町3-1-89 電話=017-739-1249 FAX=017-729-2352