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「北斎の富士」新聞連載 第6回「鳥越の不二」

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 貞享元年(1684)、従来の「宣明暦(せんみようれき)」に変わる「貞享暦(じようきようれき)」が出ると、江戸幕府は天文方(てんもんがた)を新設し(寺社奉行支配)、「貞享暦」の制作者である渋川(しぶかわ)春海(はるみ)をこの役職に就けました。こうして編暦作業は、朝廷の陰陽寮(おんみようりよう)から天文方に移りました。

 翌年、渋川は牛込藁町に「司天台(してんだい)」を設置しましたが、天文方そのものは、本所・神田駿河台・神田佐久間町・牛込袋町を転々とします。天明二年(1782)、浅草鳥越(とりごえ)に「頒暦所(はんれきじよ)」が置かれてようやく落ち着くわけですが、この時、高さ九メートルに及ぶ観測施設が併設されたことから、天文台・浅草天文台と呼ばれるようになったのです。関係者には、天文方筆頭として「寛政暦」の編集を主導した高橋(たかはし)至時(よしとき)や、シーボルト事件に関わって文政12年(1829)に獄死した高橋景保(かげやす)がいます。
 北斎が浅草明王院(みようおういん)地内の五郎兵衛店に転居したのは、天保元年(1830)のことです。 編暦・天文・測量・地誌・洋書翻訳を職務とする天文方は、当時の学問の最先端を行く場所でした。多くの人が出入りし、多くの珍しい道具を備えていました。

 敷地内の築山には四十三段の石段があり、頂上部には約五・五メートル四方の天文台が築かれていましたから、近所からも、よく目についたことでしょう。「鳥越の不二」に描かれたこの球体は「簡天儀(かんてんぎ)」といい、天体の角度などを測定する「渾天儀(こんてんぎ)」から黄道環(こうどうかん)を取り去って、簡略化したものです。手前の屋根の下には、天体の高度を測定する「象限儀(しようげんぎ)」が据えられています。

 2007年、荻原哲夫氏は、東京都公文書館が所蔵する公文書綴『順立帳』の中に天文台の絵図があると報告し、注目を集めました(「浅草天文台の詳細図を発見!」、『伊能忠敬研究』第四八号)。絵図の制作時期は弘化三年(1846)~万延年間ということですので、「富嶽百景」初編が刊行された天保五年からは、さほど離れていません。   
(青森県立郷土館研究主幹 本田伸)

※現在、青森県立郷土館では東奥日報社と共催で「北斎の富士」を下記のとおり開催しています。これに関連して、紙上に10回にわたって、見どころを紹介する記事を掲載する予定です。ご期待ください。

□期日 10月30日(土)~12月5日(日)
□時間 10月30日・31日は9時~18時(入館は17時30分まで)
      11月1日以降は9時~17時(入館は16時30分まで)
□会場 当館1階特別展示室(大ホール)
■料金 一般・大学 800円(600円) 中学・高校 400円(300円)
      小学生以下は無料 ※(  )は前売りおよび20名以上の団体料金
■問い合せ先 東奥日報社・読者事業局事業部
〒030-0180 青森市第二問屋町3-1-89 電話=017-739-1249 FAX=017-729-2352
by aomori-kyodokan | 2010-11-24 10:11 | 北斎
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