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青森県立郷土館ニュース

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ふるさとの宝物 第21回 松木満史の油彩画「牛」

文人知事が愛した小品

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松木満史「牛」

 1973年に、県立郷土館を設置したのは、文人知事として知られた竹内俊吉であった。「青森県の過去を振り返り、現在を見つめ、未来を考える」という設置の目的をあらわした竹内による一文が当館エントランスホールの壁面に掲げられている。
 文人知事といわれたように、竹内は芸術に造詣が深く、鋭い審美眼の持ち主であった。
 若き棟方志功の才能をいち早く見抜き、世に紹介したのは竹内であったし、戦前、東奥日報社の社員時代には、さまざまな美術展を開催したり、「サンデー東奥」という文化専門の紙面をスタートさせたりなど、本県の文化振興に多大な貢献をしている。
紹介の作品は、1頭の牛が描かれたB5判くらいの油彩画の小品で、描いたのは竹内と同じ木造町出身の油彩画家・松木満史である。この小品は竹内の親族から当館に寄贈いただいたもので、長く居間に掛けられていたという。
 竹内が毎日のように見続けていたこの小品が、時を経て当館の収蔵になったことに何か因縁があるような気がし、竹内が当館を設置した深い思いを考えさせられるのである。
(前県立郷土館学芸課副参事 對馬恵美子)
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by aomori-kyodokan | 2013-11-14 10:04 | ふるさとの宝物 | Comments(0)

特別展『平尾魯仙』展示替え


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展示替えした資料


 現在開催中の特別展『平尾魯仙~青森のダ・ヴィンチ』は、先日展示替えを行いました。新たな資料をご覧頂きたいと思います。
 展示替えをした作品は以下の4作品です。
1・平尾魯仙「竹林の七賢図屏風」六曲一双→「鶴図屏風」六曲一双へ。
2・「山水図」の軸を2点、「十三湖之図」の軸、及び「山水図屏風」→「四季農耕図屏風」(六曲一双のうち左隻のみ展示)へ。
3・東京国立博物館所蔵『四季草花図譜』の頁替え(前期と違う頁を開いています)。
4・『異物図会』の下絵→『異物図会』5巻からそれぞれ代表的な絵図を紹介。
他に、今回来館者の方々から人気のある作品「虎図衝立」とその下絵を会場の中央の展示ケースへ移動しました。
 展示替えの中で特にお勧めは、奇妙な生き物を描いた本『異物図会』5巻です。絵柄もユニークだし、生き物たちの描き方も丁寧で色もきれい!「やっぱり本物は違うな」と思いますよ。
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by aomori-kyodokan | 2013-10-22 09:44 | 企画展・特別展 | Comments(0)

特別展『平尾魯仙-青森のダ・ヴィンチ』開会式

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 特別展『平尾魯仙-青森のダ・ヴィンチ』の開会式が行われました。主催者である橋本都青森県教育委員会教育長のあいさつ、平尾魯仙の御子孫にあたる三戸治子さんによる祝辞に引き続き、テープカットが行われ、特別展が開幕しました。
 平尾魯仙は、幕末から明治初めにかけて活躍したマルチな才能を持った人物です。あらゆるものに興味を抱き、死後の世界について著した『幽府新論』、うわさ話などをもとに奇妙な事物や出来事を取り上げた『合浦奇談』『谷の響き』、開国後間もない箱館などの様子を記した『箱館紀行』『洋夷茗話』、西目屋村の暗門の滝に旅行した時の記録『安門瀑布紀行』など、数多くの著書を残し、植物・動物・縄文土器など、様々なものを描いています。
 今回の特別展では、青森のダ・ヴィンチと称せられる魯仙の多彩で幅広い才能がどう培われ、どう熟成していったかを紹介します。

詳細はこちらをご覧下さい
 http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/culture/Hirao-Rosen.html

□主催=青森県立郷土館 □共催=東奥日報社
■会期 9月13日(金)~11月10日(日)9時~18時 ※11月は17時まで ※会期中は無休
■会場 青森県立郷土館

■料金 一般500円(400円)大学・高校240円(200円) ※(  )は20名以上の団体および前売券料金 
  ※中学生以下は無料 ※障害のある方は免除 ※常設展示も観覧可
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by aomori-kyodokan | 2013-09-17 11:41 | 企画展・特別展 | Comments(0)

ふるさとの宝物 第15回 平尾魯仙「虎図衝立」下絵

理想求めて試行錯誤

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平尾魯仙「虎図衝立」下絵


 2011年、当館に寄贈された成田彦栄コレクションには平尾魯仙関係の絵画を含む作品(資料)が多数含まれ、今回の平尾魯仙の特別展の調査に大変役立ったことは幸運であった。さて、その中に弘前市立博物館所蔵の虎を描いた衝立の下絵が発見された。この絵を見たとき思わず「木炭デッサンか?」といいたくなった。魯仙は明治初期に亡くなっているから、西欧の木炭デッサンの技法も知識も魯仙は知っているはずはない。木炭デッサンは西洋美術において最もアカディミックな学習方法である。イーゼルに画板をたてかけ、鉛筆状の木炭をモデルの石膏像にあわせて縦にしたり横にしたりして形をとっている光景を見たことのある人も多いのではないだろうか。
 下絵は虎の脚や尾の部分に幾本もの線が描きこまれている。納得のいく形を模索し、その上で一番良いと思われる線を採用して、毛筆で下絵の虎を完成させている。しかし、である。完成作品である衝立の虎の尻尾は、下絵では、取り入れなかった方であった。
 魯仙が最後の最後まで理想の形を求めて試行錯誤を繰り返していることがわかるこの下絵を、完成品である衝立を見比べると、絵に対して妥協を許さない魯仙の制作態度を感じとれると思う。
(前県立郷土館副参事 對馬恵美子)
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by aomori-kyodokan | 2013-09-12 14:58 | ふるさとの宝物 | Comments(0)

ふるさとの宝物 第5回 松山忠三のパスポート

渡英後はつかうことなく

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松山忠三が渡英時に使用したパスポート


 青森県立郷土館に美術部門が置かれたのは、平成元年からである。以来、青森県出身作家の特別展をおおよそ年1回のペースで開催して来たが、当館の美術作品(資料)については、その特別展の開催が切っ掛けとなって寄贈していただく場合が多い。
 当館が1996年9月に開催した特別展「日本近代水彩画の全盛期と松山忠三展」は、板柳町出身の水彩画家松山忠三(1880~1954年)の水彩画115点を展示したもので、忠三が描くみずみずしい透明感にあふれた英国の風景画と、第二次世界大戦を挟んで英国と日本のはざまで苦悩した彼の波乱の人生が、多くの方々の共感を得、その結果、開催日数23日入館者11,766人という高い数字を示した。
 紹介の資料は、忠三展の開会式に参列の為、英国から来日した忠三の長男、エリック・マックスウエル氏が、当館に寄贈された資料のひとつ――忠三が英国に旅立つ時に使用したパスポートである。出発時には、自分がパスポートを使用することがその後二度とない運命を知るよしもなかったであろう。父の苦労を間近でみていたエリック氏は、忠三が1947年に英国籍を収得したあと「私は日本人だしこれからも変わることはない」とつぶやいたことを記憶している。
(前県立郷土館副課長 對馬恵美子)
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by aomori-kyodokan | 2013-07-04 09:14 | ふるさとの宝物 | Comments(0)

銅版画の先駆者 今純三

津軽の遺産 北のミュージアム 第7回
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「自画像」(1932年〈昭和7年〉 石版画=当館蔵)


 青森にもようやく、新緑の頃がやって来る。冬期間の閉鎖的な生活を強いられて来た我々の関心は、一挙に海へ山へと屋外へとむけられるようになる。県外からも本県の自然を求めて多くの観光客が訪れるが、観光スポットの中でも、人気の高い所として八甲田・奥入瀬・十和田湖がある。この八甲田・奥入瀬・十和田の風景美は、昔から多くの芸術家たちの心を魅了し、優れた作品を生み出してきたが、その中に今純三がいる。
 今純三は、明治26年に弘前市の百石町に生まれた。津軽藩の御典医の家系であった今家は純三が高等小学校を卒業したのを機に、純三を医者にすべく、彼の勉学の為に一家で東京に移り住む。しかし大正12年の関東大震災に遭い家屋を失った今一家は、混乱の東京から純三を再び青森県に送り返すこととなった。この時、純三は30歳、医師ではなく国の主催する文展(文部省美術展覧会)、帝展(帝國美術院美術展覧会)に入選した実績を持つ新進気鋭の洋画家となっていた。
 純三が本県の美術界に及ぼした影響は非常に大きく、彼を抜きには今日にいたるまでの本県の美術の流れは考えられない程である。中でも、明治期に日本に導入された銅版画に、帰省後、青森市の造道にアトリエを構えてから、本格的にとりくみ、研究し、作品を次々に制作した純三は、本県というよりむしろ、日本の銅版画史に先駆的役割を果たした画家と言えるのである。

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奥入瀬渓流「阿修羅の流れ」(1935年〈昭和10年〉・銅版画・手彩色)=当館蔵


 純三が多数てがけた銅版画の作品の中に、ひと続きのまとまりのある作品群がいくつかある。例をあげると、1933年(昭和8年)から1934年(昭和9年)にかけて制作した計100点の「青森県画譜」、1935年(昭和10年)から純三がなくなる1944年(昭和19年)までの間に制作した計108点の「小品集」、1939年(昭和14年)から1944年(昭和19年)まで続けた雑誌「月刊東奥」の表紙画、昭和9年前後に制作した「奥入瀬渓流シリーズ」等がそれである。

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八甲田・奥入瀬・十和田湖の屏風完成予想図・六曲一双・右隻=当館蔵


 最後に挙げた「奥入瀬渓流シリーズ」は計9点からなる作品とされているのであるが、実は郷土館所蔵の今純三の作品群の中に、その完成予想図が残されている。
完成予想図は、実物の十分の一に縮小されて描かれた正確なもので、これによれば、もともとこの連作は奥入瀬、十和田湖、八甲田山をテーマにした48点の雄大な構想であり、最終的に、一扇に24㎝×34㎝の大きさのエッチングの作品を4点ずつ配する六曲一双の屏風仕立てであったことがわかる。さらに48場面の内容をみると、1~10番までが八甲田山、11~25番までが奥入瀬渓流、26~48場面までが十和田湖と3つに大別できる。この設定は、十和田湖へ入る東西南北の4つのコースのうちの、北からのコース、通称十和田北線と呼ばれる「八甲田-奥入瀬-十和田湖」のコースである。このコースは「山岳美、渓流美、湖水美」の3つを満喫できる為、「十和田ゴールドライン」とも呼ばれているものである。
 では、なぜ純三はここまで詳細な完成予想図を残していながら、9点の作品を制作した段階で中断してしまったのであろうか。その原因は、作品が銅版画の技法によるものであることが一番大きいと思われる。純三が考えた作品の1点は24㎝×34㎝の大きさで、エッチングとしてはかなり大型の部類に入る。銅版画は金属の表面を針のようなもので引っ掻いたり、薬品で処理して窪ませた細い溝にインクを詰め込み、プレスをかけてそのインクを写し取る版画の一技法であるが、その作業は大変な緊張感を伴い、根気と体力を要するものである。まして大型の銅版画の制作となると、なおさらである。この過酷ともいえる作業に純三の体は耐えきれずに病を得、ついには生死の境をさまようまでの状況となってしまったのである。
  純三がのこした奥入瀬の作品9点は、昭和初期の奥入瀬の神秘的で重厚な自然の魅力を余すことなく伝えてくれる傑作であるが、そのかげには自分の生死を顧みないほどの、すさまじい純三の仕事ぶりが隠されている。それはおだやかで優しい性格であったと言われる純三に秘められた、修羅の怒りにも似た激しい一面であり、芸術に対する純三の真摯な姿勢のあらわれであったのであろう。


(青森県立郷土館 学芸主幹 對馬恵美子)

○一口メモ
「青森県画譜
 純三の次兄は考現学を提唱した今和次郎である。兄の考現学採集に協力した純三は、次第に自らの作品にも考現学視点を取り入れるようになる。その代表作が「青森県画譜」で、昭和初期の本県の人々の暮らしがユニークな視点でとらえられ、美術としてだけではなく歴史的・民俗的にもすぐれた資料となっている。

※ この記事は、陸奥新報社より承認を受け、2007年4月23日付け陸奥新報から転載したものである。
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by aomori-kyodokan | 2007-10-29 13:34 | 北のミュージアム