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青森県立郷土館ニュース

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ふるさとの宝物 第78回  戦争中の人形

戦意高揚をねらい制作

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戦意高揚のために作られた人形


 女の子の人形は割烹着(かっぽうぎ)姿で愛国婦人会と国防婦人会のたすきをかけている。男の子の方は軍服姿である。いずれも青森市内の旧商家から寄贈されたもので、日頃から遊んでいた金髪で洋服姿の女の子の人形に婦人会の格好をさせており、子供の世界にも戦意高揚が持ち込まれていったことがわかる。
 愛国婦人会は1901(明治34)年に婦人運動家奥村五百子(おくむら・いおこ)が陸軍・海軍の後援を得て設立したもので、皇族・華族等の上流階級の夫人が会員であった。
 一方、大日本国防婦人会は1932(昭和7)年10月、軍部によって総力戦体制及び国防国家体制の構築に全面的に協力することを趣旨として設立された、わが国最初の国家主義的婦人団体である。活動の際は、割烹着にたすきをかけた姿であった。
 第2次世界大戦に入り、1942(昭和17)年2月には政府主導によりこの二つの婦人会は大日本連合婦人会とともに大日本婦人会に統合されることから、女の子の人形はそれ以前に作られたものであろう。大日本婦人会は、20歳以下の未婚者を除く全女性が加盟を強制された婦人団体で、軍事援護事業を中心に貯蓄奨励運動や竹槍(たけやり)訓練に代表される動員運動などを展開した。
(県立郷土館学芸課副課長 竹村俊哉)
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by aomori-kyodokan | 2014-12-25 15:31 | ふるさとの宝物 | Comments(0)

ふるさとの宝物 第77回  加藤武夫の豆本「木版画小品集(モスリンブック)」

出来栄え 志功が賞賛

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>加藤武夫の豆本。手前のペンと比べれば小ささが分かる


 版画家加藤武夫は、1961(昭和36)年から1971(昭和46)年までにかけて、木版画で制作した県内各地の景勝地の風景を十数点集め、製本した豆本「モスリンブック」を7巻私刊した。加藤は「モスリンブック」ができる度、棟方志功に贈呈し、それに対して棟方も必ず加藤へ礼状(はがき)を出した。61年6月25日付の志功の葉書には「内容の板画みな、まとまって小気味よい出来栄えです。」とあり、また棟方は「モスリンブック」の装丁がとても気に入ったようで、「とても色の美しい表紙です。この色は、私も大好きです。」とも書いている。
 さて、「モスリンブック」の「モスリン」とは、明治維新の頃に輸入された羊毛で織られれた薄手の平織りの生地のことをいう。その後、日本製のモスリンが生産されるようになり、安価なことと発色の良さから広く普及した。
 当館では、来年の干支「羊」にちなんだ「新春展」を開催中であるが、羊の毛が使われているということで、この「モスリンブック」も展示している。豆本のかわいらしさ、そこに貼られた小さな版画作品、モスリン特有の色彩の表紙、それぞれを楽しんでいただけたらと思う。
(前県立郷土館副課長 對馬恵美子)
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by aomori-kyodokan | 2014-12-18 15:28 | ふるさとの宝物 | Comments(0)

ふるさとの宝物 第76回  山の神の掛図

マタギら 感謝込め祀る

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マタギらが祭祀に使用したと思われる山の神の掛け図


 12月は納めの月である。その年の収穫の恵みや無事に家業を果たせたことなどに感謝し、各家、職場、ムラごとに諸々の神様のお祭りを行う。本県では、5日エビス、8日薬師、9日大黒、16日農神(津軽ではオシラサマ)などと各神様の祭日があり、神様の年取りの日と呼ぶ。山の神は12日が年取りの日に当たり、これは本県全域で同じ日である。
 山の神は全国各地で祀られる神様であるが、その性格は多様で謎の多い神様でもある。なぜ12日に祀るのかというと、諸説あって明解な答えがない。山の神は女性か男性か。畏怖する対象として妻を「山の神」と呼ぶのは、山の神を女神とするとらえ方であるが、一方、男神であるとするとらえ方もある。
 写真の掛け図は、男神の山の神で2匹の山犬がお仕えしている。狩猟をしたマタギや山林伐採に従事するヤマゴたちは、男神を祀ることが多いとされることから、この掛け図はそのような山の仲間たちが山の神祭祀に用いたものと思われる。
(県立郷土館学芸課長 古川実)
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by aomori-kyodokan | 2014-12-11 15:26 | ふるさとの宝物 | Comments(0)

ふるさとの宝物 第75回  サルケ

薪に代わる貴重な燃料

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サルケ。「冬の季節展」で展示した


  岩木川下流域には湿地帯を開墾してできた新田地帯が広がっている。海や山から離れたこの平野部では、燃料となる薪(まき)を手に入れることが難しかった。代わりに重宝されたのが「サルケ」である。
植物の遺骸が冷涼な気候によって分解が進まないまま堆積したもので、「泥炭」や「草炭」ともいわれる。サルケは田や溜池などから掘り出されたが、場所により品質は異なり、煙が少なく火持ちのよいものが良品とされた。例えば1931(昭和6)年刊の『津軽口碑集』には「柴田さるけ」(つがる市木造柴田産)が一種のブランド品であったと記される。よいサルケを求めに訪れる者もあった。
サルケは主にシボド(炉)でたかれ、暖房や採暖のほか、煮炊きにも用いられた。ただ「サルケのくべたてや婿逃げる」と言われるほど、煙たさは並大抵のものではなかった。「隣の人の顔も見えないほどだった」「目を病んだ」「独特の匂いが着物に染み付いた」など煙にまつわる話は尽きない。一方で強烈な煙には茅葺きの屋根や結び縄などの腐食や虫害を防ぐという利点もあった。
(県立郷土館研究員 増田公寧)
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by aomori-kyodokan | 2014-12-04 09:51 | ふるさとの宝物 | Comments(0)