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青森県立郷土館ニュース

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ふるさとの宝物 第57回 津軽鉱 Tsugaruite

世界的に希少な鉱物

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津軽鉱の実体顕微鏡写真(松山文彦氏撮影)


 津軽鉱は、平川市碇ヶ関の湯ノ沢鉱山跡からのみ発見されている鉱物である。発見されたのは1990年代中頃のことで、97年に国際的に新発見の鉱物として認められ、98年末にイギリスの雑誌に論文が掲載された。
鉛・ヒ素・硫黄という3種類の元素からなり、結晶は金属光沢のある灰色の長い板状で、放射状に集まっている場合が多い。津軽鉱と同じ3種類の元素からできている鉱物としてヨルダン鉱とグラトン鉱があるが、これらの鉱物の違いは含まれる硫化鉛の比率で決まり、ヨルダン鉱、グラトン鉱、津軽鉱の順に稀少性が増す。つまり、津軽鉱は非常に珍しい鉱物といえるのである。
 津軽鉱の結晶は非常に小さいため、展示室ではルーペを置いて観察できるようにしている。「津軽」の名がついた世界的に稀少な鉱物を、じっくりと観察してみてほしい。
(県立郷土館主任学芸主査 島口 天)
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by aomori-kyodokan | 2014-07-31 11:16 | ふるさとの宝物 | Comments(0)

ふるさとの宝物 第56回 寺の沢遺跡出土土器

縄文早期の重要資料

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寺の沢遺跡から出土した土器片


 今回の資料を見て、「こんな破片が宝物?」と思われた人も多いのではないだろうか。
 この土器は当時県内に在住した考古学・民俗学研究者名久井文明氏が1970(昭和45)年、三戸町の土取りの現場から急きょ発掘したものである。74(同49)年、名久井氏は考古学専門の学術雑誌に、この土器を紹介し、東北地方北部の縄文早期の編年に関する考察を発表した。寺の沢遺跡の土器を含む系統と、関東・東北南部から伝わった系統がしばらくの間併存したというものである。
前者は砲弾状の尖底(せんてい)で胴部全面に貝殻文を持つ物が多いのに対して、後者は乳房状の尖底で貝殻復縁文は口縁部に限られるものが多いなどの違いがあるが両者の特徴を併せ持った土器は知られていない。
 2系統の土器が同時に同じ地域に存在したなら相互に影響を及ぼすのが一般的だとして、反対意見も提出されている。現在でも見解の相違は完全に解決されたとはいえない。
 寺の沢遺跡出土土器は、本県を含む縄文早期を考える上で重要な資料である。このような資料を適切に保管するのも博物館の重要な役割である。
(県立郷土館主任学芸主査 中村哲也)
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by aomori-kyodokan | 2014-07-24 11:13 | ふるさとの宝物 | Comments(0)

ふるさとの宝物 第55回 ハマナスメトゲコブフシ

植物の瘤、中には昆虫

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ハマナスメトゲコブフシ(八戸市)


植物の葉、茎、芽、蕾、根などの各部分に瘤(こぶ)状の膨らみや異常肥大などが見られることがある。手にとって割ってみると中から昆虫の幼虫や成虫が見つかることが多く、虫癭(ちゅうえい)、または虫瘤(むしこぶ)と呼ばれている。虫癭を作るのは特定の昆虫が多いが、菌類や線虫類、ダニ類などによるものもある。
 海岸で見られるハマナスの芽に大きな虫癭が見られることがある。『ハマナスメトゲコブフシ』と名前がついている。この虫癭はタマバチの仲間によって作られたもので、1941年に八戸市鮫海岸で得られた標本でハマナスメトゲコブタマバチと命名された。青森県から発見された昆虫である。その後の研究で生態がかなり解明されている。
虫癭は6月中旬頃から目立つようになり、黄緑色の扁球形で表面に刺が多数見られる。8月上~中旬に40センチ前後の大きさになり、晩秋には水分が無くなり褐色のパルプ質となる。内部には沢山の幼虫室があり1室に1幼虫が入っていて,そのまま虫癭の中で越冬し、翌春に蛹化し、5月中旬から6月上旬にかけて羽化し、ハマナスの若芽に産卵する。ただ、虫癭が形成されるその仕組みについては、研究がまだ進められている。
 県立郷土館の自然展示室では、青森県で見られる主な虫癭を写真と標本で紹介している。
(県立郷土館学芸員 山内智)
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by aomori-kyodokan | 2014-07-17 11:09 | ふるさとの宝物 | Comments(0)

ふるさとの宝物 第54回  弘前藩士の脇差し

箱館戦争で使用、傷痕も

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箱館戦争で弘前藩士が使った脇差し


 慶応4(1868)年1月にはじまった戊辰戦争の波は北奥にもおよび、大きな被害を与えた。青森県内では、弘前藩と黒石藩が新政府側に、盛岡藩が奥羽越列藩同盟側に属し、野辺地戦争をはじめ、はげしい戦闘を各地でくり広げた。
 明治元(1868)10月、奥羽鎮撫総督府は会津藩が降伏により東北平定を宣言した。まもなく、榎本武揚が率いる旧幕府脱艦隊が箱館北方の鷲ノ木(わしのき)に上陸したため、箱館府知事清水谷公考(しみずだに きんなる)から援軍の派遣を要請してきた。
 そこで弘前藩は急いで4小隊を差し向けた。この脇差は、藩士白戸直世(郡場直世)が箱館戦争(五稜郭の戦い)へ出兵の際に使用したもので、刀背に撃ち合いの痕が残っている。弘前藩兵は敗退して青森へ逃げ帰った。箱館戦争の舞台となった五稜郭が竣工して今年でちょうど150年である。
 直世はその後明治期に酸ヶ湯温泉の礎を築いた。妻ふみは湯宿の女将のかたわら高山植物を採集や研究にあたった。その影響をうけたのが二男の郡場寬(こおりば かん)で、植物学者としての道を選び、県人初の弘前大学長も務めた。
(県立郷土館学芸課副課長 竹村俊哉)
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by aomori-kyodokan | 2014-07-10 15:29 | ふるさとの宝物 | Comments(0)

ふるさとの宝物 第53回  今純三の油彩画「信子像」

幼子を描いた幻の秀作

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今純三「信子像」(44.5センチ×33.3センチ、1926年)


 オカッパ頭の女の子の無垢な視線に思わず引き込まれる。そのふっくらとした頬に思わず触れて見たくなる。人の長い一生の中で幼子(おさなご)だけが持つひとときの輝きに、なにか胸をつかれる。そんな思いをさせるこの作品を描いたのは弘前出身の画家、今純三(1893~1944)である。
 純三による油彩画「信子像」が当館に寄贈されたのは2007年のことで、それまで今純三の画集や展覧会目録等にも掲載されたことがなかったために、存在が知られることがなかった。まさに幻の一点と言えるものである。
 純三の画歴をみると、前半の東京時代は油彩画家としての制作が中心であり、大正12年青森に移住してからは銅版画の制作が中心となる。これにともない、純三の作風も印象派風の情感あふれる描き方から、どこまでも正確さと緻密さを追求する写実の方向へと変化していった。この作品はちょうどこの中間地点に位置し、写実でありながら幼子(おさなご)の愛くるしさが見事に表現され、純三の代表作の油彩画「バラライカ」にならぶ秀作といって良いであろう。
(前県立郷土館学芸課副課長 對馬恵美子)
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by aomori-kyodokan | 2014-07-03 15:27 | ふるさとの宝物 | Comments(0)