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青森県立郷土館ニュース

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企画展「新収蔵展 ふるさとからの贈りもの」 開催

おかげさまをもちまして、この企画展は無事終了致しました。

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青森県立郷土館では、我が県の歴史と文化を知り、後世に伝えていくための資料収集活動を行っています。この企画展は、収集された資料のうち、本年度新たに収蔵されたもの、また、過去に集められたものであっても公開する機会が少なかったものについて、広く一般に公開することを目的とするものです。
【会期】3月1日(土)~4月13日(日)
 ※ 会期中は無休。
【時間】午前9時~午後5時 ※入場は午後4時30分まで
【場所】当館1階特別展示室(大ホール)
【料金】一般 310円(250円)、高校・大学生 150円(120円)
 ※小・中学生は無料。障がいのある方、老人福祉施設に入所の方は観覧料免除。
 ※(  )内は20人以上の団体料金。
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by aomori-kyodokan | 2014-02-28 08:59 | 企画展・特別展 | Comments(0)

ふるさとの宝物 第35回 盛秀太郎作のこけし

心とらえる柔和な顔

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盛秀太郎作のこけしや木地玩具



 温湯こけしの名人、盛秀太郎は古くから続く木地師の長男として生まれた。木地師とは、ろくろを用いて、木から椀(わん)や盆などを作る職人のことである。1914(大正3)年、秀太郎は、宮城県から温湯を訪れた中学生に勧められ、手探りで独自に工夫を重ね、こけし作りを始めた。彼のこけしは湯治客などの評判となり、人気を博した。しかし、大正の末ごろからメンコやベーゴマなど新しい玩具が子どもの間に流行し、こけしの人気は、一般には衰えた。
 55(昭和30)年4月、版画家棟方志功は秀太郎にその仕事ぶりをたたえる手紙を送った。それが新聞に報じられ、秀太郎の評判は高まった。旅行ブームにも支えられ、こけしの製作依頼が増えた。秀太郎のこけしは、柔和な顔立ちをしており、「素朴でありながら日本人の心をとらえる深い魅力がある」(弟子の奥瀬鉄則氏)と評された。その後の秀太郎は、71年には勲六等瑞宝章、82年には黒石市無形文化財ほか、数々の表彰・叙勲等を受けている。
(県立郷土館主任学芸主査 佐藤良宣)
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by aomori-kyodokan | 2014-02-27 10:05 | ふるさとの宝物 | Comments(0)

ふるさとの宝物 第34回 手形・足形付き土製品

子を思う気持ち かたどる

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大石平遺跡出土手形・足形土製品(国指定重要文化財)


 子供が生まれて1歳前後の歩き始めた頃、記念に手や足の形を色紙や粘土にとる。これと同じようなものが縄文時代にも造られていた。
手形・足形土製品、あるいは手形・足形付土版とよばれ、今までに出土した遺跡は20遺跡と少なく、地域も北海道・東北地方に偏る。青森県大石平遺跡から出土した土製品は、楕円形の粘土版に手・足の形をとり、模様も付けられている。
東北地方の遺跡から出土したものは、場所も様々で明確な用途は明かではない。幼児の歩き始めの祝い、祭りの道具、子の成長を願うための護符(お守り)などの説がある。
なぜ、手と足なのか。それは成長が一目でわかりやすく、粘土に押しつけるだけでかたち取ることができたためと思われる。また手形より足形の出土数が多いことは、「足=歩く」ことに意味があったのかもしれない。いずれにせよ、縄文時代も現在も、子を想い、案じる親たちの気持ちがかたどられていることに変わりはない。
(前県立郷土館主任学芸主査〈現 青森県県民生活文化課県史編さんグループ主幹〉伊藤由美子) 
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by aomori-kyodokan | 2014-02-20 10:02 | ふるさとの宝物 | Comments(0)

ふるさとの宝物 第33回 根市亮三の「思い出」表紙画

太宰お気に入りの1枚

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太宰治「思ひ出」の表紙を飾った根市良三の作品


 本県は版画の盛んな県として知られているが、その礎を築いたのは昭和初期に青森中学(現青森高校)の生徒達が自分達の版画作品を貼り込んだ冊子「緑樹夢」に端を発する一連の版画誌の発行である。これらの版画誌は、彼らの先輩格の今純三、棟方志功らも加わり、他県の版画家たちとの交流へと広がりをみせるなど、本県の版画の普及に大いに貢献することとなった。
 根市良三は『緑樹夢』を発行したメンバーのひとりである。根市は中学時代からシュルレアリスム風の作品を制作するなど早熟の天才肌の少年であったが、33歳の若さで早世している。当館には彼の短い生涯に制作された版画のほとんどが、甥にあたる方から寄贈され収蔵されている。
 掲載の版画は、根市と交流のあった太宰治から依頼されて、版画で制作した本の表紙画である。太宰は、自身の実質のデビュー作『思い出』が掲載された雑誌から、その部分だけを切り取り、綴りなおしたお手製の本を34冊作った。その一つは小説家壇一雄の手にも渡っている。太宰はこの表紙画をとても気に入り、後に著した短編集の表紙のデザインにもバラの絵柄を利用している。
(前県立郷土館学芸課副参事 對馬恵美子)
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by aomori-kyodokan | 2014-02-13 10:26 | ふるさとの宝物 | Comments(0)

ふるさとの宝物 第32回 カデ切り器

効率よく根菜を裁断

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旧川内町で使われていた「カデ切り器」。左は本体上部の刻印


 下北や南部地方はもちろん、稲作が盛んな津軽地方でも、かつて米だけの飯を食べられたのは一部の人々で、庶民の多くは雑穀や豆、根菜、海草などを米に加えて炊き、主食とした。これを「カデメシ」という。大根や芋などは細かく切り刻んで入れるが、「カデ切り器」を使うと効率よく切り刻むことができる。写真の器械は、下北の旧川内町で使用されていたもの。ハンドルと連動して上下する細かく並んだ刃が、食材をザクザクと切る。使用者は「大根切り器」と呼んでいた。もっぱら大根のカデメシを作ったのだろう。
 本体上部には「特許薯米用剪理器」の刻印。薯米とは、馬鈴薯を裁断して粒状に加工したもので、明治後期に特許が取得されている。米に混ぜて炊いても米飯の食味が損われることなく、安価で軽量、保存も利くというので国も奨励した。同じ頃の東奥日報紙には、1升の米を3升に増やす「飯殖法」が津軽の村民に伝授されたという記事もみられる。逼迫した食糧事情が窺える。
(県立郷土館研究員 増田公寧)
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by aomori-kyodokan | 2014-02-06 10:24 | ふるさとの宝物 | Comments(0)