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青森県立郷土館ニュース

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「妖怪展」展示解説 第5回 「異界を探る-平尾魯仙から「お化けを守る会」へ-」(最終回)

 あの世や神仏、妖怪が属する世界を「異界」といいます。幕末の弘前藩士は、ふだんから異界への知識を持っていたようで、彼らの日用の心得には「妖怪変化や化け物にあったら、親指を隠せ、眉に唾をつけろ」と書かれています。

 その異界の仕組みを明らかにしようとしたのが、秋田出身の国学者平田篤胤でした。彼は、天狗の国で8年間暮らしてきたという少年寅吉へ、詳細なインタビューを行ない、30日間妖怪と闘った三次藩士稲生武太夫による妖怪物語「稲生物怪録」を世に紹介しました。

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↑平尾魯仙画『稲生物怪録』弘前市立博物館蔵

 様々な妖怪達を描いた「稲生物怪録」は、津軽の国学者平尾魯仙も写本を作っています。しかしそれは他の写本とは異なる部分が多く、当展の特設「化け物屋敷」で全画を上映しております。

 国学の流れの一部は、日本民俗学にも受け継がれました。その後明治以降、妖怪研究は、旧時代の迷信を打破する目的、または柳田國男らによる古い日本の神観念を探る研究として取り上げられましたが、その多くは好事家の分野でした。

 昭和40年代には水木しげるに代表される妖怪ブームが起こり、マンガのなかで近世の「化物」と民俗研究で採集されたムラの妖怪がミックスされて「古めかしく、なじみやすく、自然とつながる」現代人の妖怪イメージが普及します。

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↑お化けを守る会ハガキ「お化け版通三号」個人蔵
 昭和50年代には、弘前市で「お化けを守る会」が結成され、「せめてお化けの出る情緒ある世の中にしたいもの」といって、会誌の発行、怪談を聞く会、妖怪・幽霊画の展覧会、民間信仰の調査研究など、妖怪たちを文化のひとつとして楽しむ、有志の会が発足しています。(学芸主査 小山隆秀)
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by aomori-kyodokan | 2009-10-03 16:51 | 妖怪 | Comments(0)

妖怪展展示解説 第4回 「生と死の世界-鬼子と幽霊-」

※ 妖怪展は、2009年度に開催され、盛況のうちに終了いたしました。

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↑「地獄を描いた十王図」(高沢寺蔵)

 人が生まれること、死ぬことは、人知を越えた世界であり、人々は様々な不安を抱いてきました。かつて西洋医学の知識が普及していなかった時代には、変わった出産があると、様々な誤解やデマを呼んで怪物や鬼子(おにご)が生まれたという奇妙な話となって広がりました。

 一生を終えてあの世へ行けば、人は十の地獄を巡って裁きを受けるといい、その様子を描いたのが十王図です。これらの図はかつて、正月十六日やお盆などにお寺で掲げられました。

 太宰治は小説「思ひ出」のなかで、幼い頃に地獄絵(十王曼荼羅)を見ながら、死ねば地獄で裁きを受けると聞き、恐ろしくて泣き出したと書いています。民衆の一般的な地獄像が普及していった様子を物語るエピソードといえます。

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↑「渡辺金三郎断首図」(正伝寺蔵)
 一方で、成仏していない死者の魂が幽霊です。幽霊は、自然から出現する妖怪と違って、都市の人間関係のストレスから生まれるといい、主に文芸作品のなかでもてはやされました。18世紀の有名な絵師円山応挙らによって足の無い幽霊像が造られ、19世紀の「東海道四谷怪談」などの歌舞伎や講談、絵画などで、髪を振り乱し、白い経帷子を着たおなじみの幽霊像が普及していきます。

 幽霊画とともに、残虐な生首の絵も描かれました。そのなかで有名なのが、渡辺金三郎断首図です。渡辺は、幕末の京都奉行所の与力でしたが、倒幕派の恨みをかって暗殺され、さらし首にされました。その姿を写した絵を弘前の個人が購入し、テレビで紹介したところ、生放送中に、つむっていたはずの右目を開いたという噂が広がりました。


 このように生と死は我々のすぐそばにあって、合理的思考と科学文明が発達した現代になっても、いまもなお恐怖を感じる未知の異界なのです。(学芸主査小山隆秀)
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by aomori-kyodokan | 2009-10-01 11:15 | 妖怪 | Comments(0)