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道具に込められた願い
津軽の遺産 北のミュージアム 第23回


たらいと洗濯板でせんたくをする主婦(青森市浪館)


真冬の洗濯
 この写真は昭和40年(1965)、青森市浪館で撮影されたものである。寒い冬にもかかわらず、外で「たらい」と「洗濯板」を使って洗濯をしている主婦が写っている。今どきの子どもたちにとっては、実に不思議な光景だろう。
 当時、青森市に水道は開通していたものの、完全に各家庭まで行き届いてはおらず、集落の共同水栓や井戸を生活用水にしている家庭はまだ多かった。青森市浪館のこの家には2世帯が入居し、家と家をつなぐ土間にポンプ式の井戸があり、それを共同使用していた。
 洗濯には、木のたらいと洗濯板が使われた。洗うものを板にのせ、石鹸をこすりつけてゴシゴシと洗った。石鹸は十分にはなかったので、汚れのひどいものや白いものの洗いだけに使い、ほかのものはもみ洗いをしてすすぐだけだった。洗うのも大変なら、すすいでしぼるのもまた大変な仕事だった。特に冬場はひびやあかぎれができ、たいそう辛かったという。

洗濯板

郷土資料に学ぶ子どもたち
 平成19年5月30日、黒石東小学校で、青森県立郷土館の移動博物館が開かれた。体育館には、江戸時代から昭和にかけての生活用具がずらりと展示され、4年生児童が水桶をかついだり洗濯板をじっくりと観察したりするなど、時代とともに移り変わる道具や工夫の跡を、そして道具に込められた先人の願いを確認した。
 従来の博物館は、文化財や郷土資料を後世に残すべく収集・保管したり、展示や論文という形で研究成果を広く発表したりする施設と理解されてきた。その場合、博物館の資料を用いて話をするような場面は、非常にまれだった。そのため県立郷土館では移動博物館を実施して、実際に資料に触れさせるようにしている。子どもたちに資料の大切さを実感させ、先人の願いや工夫の跡に気づいてもらう機会を設けている。

洗濯板の秘密
  「電気がなかった頃はどうやってセンタクしていたのかな」と問いかけると、教科書の挿絵で見たのか、「洗濯板」という答えが、子どもたちから返ってくる。そこで洗濯板を描かせてみると、実に様々な洗濯板を描いてくる。共通するのは溝がありボコボコしている点だ。しかしその溝は縦や横のギザギザだったり波もようだったりと、少しずつ異なる。
 実際の洗濯板は、洗剤入れのくぼみの下に谷を描くようなカーブが刻まれている。
 なぜ溝がこのように刻まれているのかは、理由がある。子どもたちが言うようなギザギザでは、布を傷めてしまう。山を描くカーブでは、たれてきた洗剤液が溝を伝って外側にこぼれてしまう。そこで、谷状のカーブにし、洗剤がこぼれないようにしているのである。
 工夫はまだある。すすぎの際は上下を逆にし、カーブを山にして使用する。これはできるだけ少ない水ですすぎをして、井戸から汲み上げ桶で運ぶという労働を少なくするためである。
観察と体験を通し、子どもたちは、洗濯板の溝一つにも使う人の願いと工夫があることに気づくのである。

カモメホーム洗濯機

カモメホーム洗濯機
 1回の洗濯の量は、家族の多い家でも物干しざお3本分ぐらいだった。洗濯板での洗濯は重労働で、少しでも楽にすませたいという願いは、多くの主婦が持っていた。
 昭和20年代に、一風変わった「カモメホーム洗濯機」が発売された。これは手動式の圧力洗濯機で、熱湯・洗剤・洗濯物を入れて蓋をすると、密封構造なので機内に圧力がかかり、その状態で容器を回転させ、攪拌(かくはん)するというものである。水に手を入れる時間が激減し、作業も軽減される、夢の洗濯機だった。しかし原理の理解の困難さや、熱湯を入れなければならない煩わしさなどの欠点もあった。ぬるくなったお湯を使用した主婦から「汚れが落ちない」との声が上がり、次第に姿を消した。
 移動博物館でこの「カモメホーム洗濯機」を紹介すると、新しいものが必ずしも良いものとは限らないことに、子どもたちは気づく。現在でも、ユニフォームや汚れのひどい靴下を洗濯板でこすり洗いしている人はたくさんいる。「新しい=良い」「古い=悪い」ではなく、良いものは時代が変わっても使われ続けるのだ。

便利さと引きかえにしたもの
 「新しい=良い」の図式が当てはまらないケースに、炊飯の歴史がある。竈(かまど)での炊飯には難しい火加減と熟練の技が要求され、誰でも簡単にというわけにはいかない。そこで、誰もが手軽に米を炊くことができるようにと、竈→ガス釜→電気炊飯器と、時代とともに進化した。しかし竈で炊く「つば釜」のご飯のおいしさを忘れられない人も多いだろう。
 私たちは便利さと引き替えに、いったい何を失ったのだろう。
 店頭や家には次々と新製品がならび、私たちの暮らしはどんどん便利になった。しかし一方では、農薬にまみれた輸入野菜や工場で生産された食品を食べ、海や川に浮かぶゴミや、山に投棄された家電製品を眺めて暮らしている。かつては子どもの仕事だった水汲みや薪ひろい、ランプのホヤ磨きなど、もう誰もしていない。代わりにお手伝いが夏休みの宿題となり、社会には働けない若者が増えたのである。
(青森県立郷土館 研究員 渡辺真路)

※ この記事は、陸奥新報社の承認を受け、陸奥新報2007年9月17日付け陸奥新報から転載したものである。
by aomori-kyodokan | 2008-01-28 13:24 | 北のミュージアム
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