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青森県立郷土館ニュース

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集団組織したマタギ

津軽の遺産 北のミュージアム 第2回
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写真1 目屋マタギの服装=森山泰太郎氏所蔵アルバムより

 山で狩猟を行う人びとをマタギといった。マタギの語源については定かでなく、狩猟用具に又木を使用するためであるとか、狩猟を意味するアイヌ語のマトキからきたといった説がある。津軽地方では西目屋村の「目屋マタギ」や鰺ヶ沢町赤石川流域の「赤石マタギ」がよく知られたマタギであった。その他に黒石市大川原などのマタギ集落があった。 これらのマタギは、狩猟を専門職としていたわけではなく、通常は山の田畑での農業や山仕事をしながら、その合間に狩猟を行ってきた。江戸時代には藩で保護をしてお抱えマタギとし、毛皮などを上納させる代わりに米などを与えた。戦時において鉄砲組に編入
させるためであったといわれる。
 マタギが狩猟の対象としたのはクマ、タヌキなどの獣類やキジ、ヤマドリなどの鳥類で、今では制限されているカモシカもかつては対象であった。とくにクマは重要な獲物で、毛皮や肉のほかに熊胆(クマノイ)は特に貴重であった。熊胆はクマの胆のうのことで生薬の材料として高価に取引された。熊胆のことを目屋マタギは「ユウタン」、赤石マタギは「カケカラ」と呼んでいる。

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写真2 目屋マタギの狩猟用具=森山泰太郎氏所蔵アルバムより

 マタギが使用する狩猟用具は、鉄砲、槍(タデという)、山刀(タテナタ、マギリなどという)などが主なもので、そのほか火薬入れ弾丸やマギリなどを収納する物入れなども持つ。マタギの服装は、冬期の狩猟が主だったので、毛皮の上衣(カッコロ)、毛皮の帽子や編み笠、毛皮の靴(ケリ)などであった。また、足にはカンジキをつけ、雪ベラを持った。雪ベラのことを目屋マタギはコナギといい、赤石マタギはコダラキという。

 狩猟の時期はクマの場合冬期が多い。津軽では春の出熊(冬眠から出てきたクマ)を主に狙う。シカリという頭を中心にしたマタギ組を組織し、追手と射手というように役割分担をして猟を行った。シカリは経験の深い指導力があることが条件で、組の中でおのずから決まっていった。
 狩猟の中でもクマの場合は非常に危険が伴った。最後の赤石マタギといわれ、約百頭のクマを獲った鰺ヶ沢町一ツ森の故大谷石之丞氏は、頬に大きな傷跡があった。これは、槍で熊と闘った際にクマの爪で顔をやられ重傷を負ったときのもので、よく死ななかったものだと述懐していた。
 マタギが山で狩猟する際には、山言葉もしくはマタギ言葉と呼ばれる言葉で話すのが慣わしであった。山言葉は各地のマタギによって異なり、赤石マタギの場合は、サルをシネカ、クマをイタジ、肉をサズミ、血をヘダレ、米をクサノミ、味噌をサネなどという。これらの中にはアイヌ語と共通するもの(マギリ、ワッカ等)が含まれているのは興味深いことである。
 マタギの組には厳しい戒律があった。これを破った者は冬の谷川で水垢離をとらされたという。例えば、山言葉をいわなかったり、山で口笛を吹いたりするなどの行為は嫌われたものであった。
 マタギが獲物を獲ったときには独特の儀礼を行った。これを、シオクリをするなどというが、その方法は門外不出とされ、外部の者にもらすと獲物が授からなくなるとされた。赤石マタギがクマを獲った場合、まず皮を剥ぐ。その皮を頭と尾を逆にしてクマの身体にかぶせ直す。これを逆さ皮といい、「頬の肉を串刺しにして山の神に供え」、といって秘密の言葉を口にして唱える(「法を唱える」という)。このような儀礼には、山の獲物は山の神からの授り物であるとか、獲物を神のもと(山)へ帰すという考え方が見られ、
アイヌの熊祭りと似ている。そして、マタギは山に入ると「山の神」の支配下におかれる。マタギの狩猟活動のほとんどは山の神に対する信仰と切り離すことはできない。

(青森県立郷土館 学芸課長 成田 敏)

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写真3 赤石マタギ最後のシカリ、故大谷石之丞=当館蔵

ひと口メモ
シカリ

 津軽地方の場合、八人から十人くらいの組織集団として熊狩りをする。その中でシカリと呼ばれる統率者が中心であり、そのほかコマタギ、料理係、ハツマタギなどがいて、それぞれ役割が決まっていた。シカリは絶体的な権限を持ち狩猟中はいっさいを指揮した。

※ この記事は、陸奥新報社の承諾を受け、2007年3月19日付け陸奥新報を転載したものです。
by aomori-kyodokan | 2007-08-24 16:34 | 北のミュージアム
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