丹精込めて手作り
大・小のシメナワ
年の瀬を迎える町に市が立ち、大勢の人々が繰り出す光景も、今は昔。昨年末、青森市中心街でみられたシメナワ(しめ飾り)売りの露店は、わずか5軒ほどだった。
シメナワを商うのはいずれも同市郊外に位置する駒込(こまごめ)集落の人々。シメナワはみな売る人の手作りだ。「(当時流行の)マント欲しくてさ。小遣い稼ぐのに始めだんだ」そう語るのは、当地で60年以上シメナワを商う武田まちゑさん(82)。「5~6銭でも売れば、売れだなって。あずまし正月越すにいってな」
自家用車もない時代。駒込を午前3時に出発し、片道6㎞の道を中心街まで歩いて通った。背負える量を売るだけの、ささやかな商売。それが、昭和40年代になると、転機を迎える。徐々にシメナワの需要が高まり、集落をあげて大量に生産されるようになった。「駒込しめ縄組合」の組織のもと、北海道にまで輸出され、材料のスゲが足りず「ホガムラ(他村)まで刈(か)に行がねばねえ」ほどだったという。
スゲの栽培を含めると、シメナワづくりは丸1年がかりの作業。炎天下の刈り入れから選別、乾燥など、素材の準備だけでもかなりの重労働だ。まちゑさんが1年かけ丹精込めてこしらえたシメナワが、今年もまた露店にならぶ。
(県立郷土館研究員 増田公寧)