かつて南郷で多く生産イタヤカエデを編んで作られた箕
写真は、脱穀した穀物の実と籾(もみ)を選別する用具の箕(み)である。イタヤカエデとフジ皮で編まれており、横116㌢、縦77㌢。1972年に五戸町の浅田中学校から寄贈されたもので、製作地は南郷村(現八戸市南郷区)世増(よまさり)と記録されている。世増はイタヤ細工の地として知られ、箕のほかにリンゴ籠、お針籠などを作り、県南地方一円を販路とした。
8年前の7月に世増出身のおじいさんからイタヤ細工の話を聞く機会があり、その手業も見学した。編む材をツラモノといって、イタヤを縦に鉈(なた)で割り、さらに小刀で剥いで、長さ1.2㍍、幅1.2㌢、厚さ1㍉ほどにする。ツラモノを作る技術と道具ひとそろいがあるのは、今はおじいさん1人だという。ダム建設による世増各戸の移転から、イタヤ細工も続かなくなった。材は男でないと作れないが、男はすぐ飽きるから編み上げるためには、女手がどうしても必要だという話が印象深かった。
後日知ったのだが、五戸町出身の民俗学者能田多代子の世増採訪記「箕作りの村を訪う」(1949年発表)に、このおじいさんは若者として登場していた。
(県立郷土館学芸課長 古川実)