炭俵を運ぶ娘(西目屋村・森山泰太郎氏アルバムより)
現在の目屋人形
前回は炭焼きについてでしたが、今回も炭焼きにちなんだ写真を紹介します。耕地が少ない山間地域である西目屋村はかつては炭の大産地でした。どの集落でもほとんどの人が炭を焼いて生計をたてていました。
山で焼き上げた炭は炭俵に入れて炭小屋に積んでおきます。それを人が背中に背負って里まで運ばなければなりませんでした。大人も子供も家族総出で運んだものだといいます。
西目屋村砂子瀬(現在、津軽ダム建設による水没地区になるので住民は移転し廃村)では男性は3俵(約45キロ)、体力のある人だと4俵(約60キロ)背負ったものだといい、女性でも3俵を背負った人がいたといいます。上の写真は若い女性が炭を背負って運ぶところです。1951(昭和26)年頃に西目屋村砂子瀬で撮影されました。
下の写真は西目屋村の民芸品で目屋人形といいます。目屋人形は、まさしく上の写真のような若い女性が炭俵を背負っているのを形にしたものなのです。
1932(昭和7)年に西目屋村田代の松野敏夫という人が考案したといい、評判がよかったので生産されるようになりました。戦後になって一時途絶えてしまいましたが、村の商工会で復活させ現在でも製作販売されています。(客員学芸員 成田 敏)