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写真で見るあおもりあのとき 第129回 日本海側「白炭」主流 農閑期の副業に盛ん

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炭窯から真っ赤に焼けている炭を掻き出す


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焼き上がった炭を炭俵に詰める





 今回の写真は、1974(昭和49)年2月、西津軽郡鰺ヶ沢町小森で行われていた、炭焼きを調査したときに撮影したものです。小森は「金鮎」で知られる赤石川流域の集落で、白神山地の山麓に位置します。当時でも、木炭の生産は非常に少なくなっており、この時には、テレビの取材陣も同行して撮影が行われました。
 炭には白炭と黒炭の別があり、小森では主に白炭を焼いていました。白炭も黒炭も炭窯を使って製炭しますが、白炭は写真上のように、真っ赤に燃えているものを窯の外に掻き出し、灰と土を混ぜたゴベという「消し粉」をかけます。この時、灰が付着して白っぽくなるため、白炭といわれるようになりました。
 白炭は日本海側の積雪地帯で多く行われ、黒炭は太平洋側の地域に多く「東北本線の線路から西側は白炭、東側は黒炭」といわれていました。白炭の窯は石造りで、土で作られる黒炭の窯より小型でした。写真の窯の場合1回の作業で、15キロ入りの炭俵5俵を焼くことが出来ました。白炭は1日に1回の炭焼きが可能なことから「日釜(ひがま)」といいました。午前中に窯から炭を出し、窯が冷えないうちに材料となる原木を立て込みます。火を着けた後、窯の口を狭くして原木が蒸し焼きになるように火のまわり具合を調節し、一晩おきます。その際、煙の色や臭いで窯の中の様子を判断します。昔は炭焼き専業者も多くいましたが、森林の豊富なこの地域では、特に農閑期の副業として炭焼きが盛んに行われていました。
(県立郷土館・昆 政明、写真も筆者撮影)
by aomori-kyodokan | 2013-02-14 08:00 | 写真で見るあおもりあのとき
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