機械化された脱穀作業と手伝う子ども
幼い子と子守する少年
農家にとってうれしい実りの秋は、忙しい作業が続く毎日でした。機械化以前には、刈り取った稲は田んぼで乾燥し、脱穀、
籾すり、精白作業は乾燥が終わった稲を家に運んで行いました。昭和30年代後半になると、農作業の機械化が大きく進みます。それまで手作業で行っていた脱穀作業に、ガソリンエンジンを動力源とした動力脱穀機が普及し、作業も田んぼで行うようになりました。
写真は昭和40年代はじめ、津軽平野での脱穀作業を撮影したものです。写真上で使用している動力脱穀機は、稲の送りを自動化したタイプで、青森県では昭和30年代末期に普及しました。
脱穀作業は好天を選んで、一斉に行われることから、田植え時の様な共同作業ではなく、農家個々が一家をあげて取り組みました。そこでは、子ども達も大きな戦力で、稲運びやワラの整理などかいがいしく手伝う姿が見られました。また、幼い子どもの世話も、子どもの役割でした。
写真下は、脱穀機から離れた場所で、作業を見つめる少年と、幼い子どもを撮影したものです。日差しを避けるこうもり傘の下で、腹ばいになった子どもの背に掛けられた布から頭とお尻、むっちりした足がのぞいています。
現在では稲刈りから脱穀まで一連の作業をコンバインで行い、籾の乾燥も乾燥機で行うことが主流となってきました。作業もごく少人数で済むことから、田んぼで農作業を手伝う子どもたちの姿を見ることも無くなりました。
(県立郷土館・昆 政明、写真はともに佐々木直亮氏撮影)