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青森県立郷土館ニュース

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写真で見るあおもりあのとき 第97回 活気あふれる青森港 回漕店の勢い盛んに

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成卯回漕店。荷主・船主を滞在させるため、下宿業を兼ねていた

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桂井回漕店と旅館。県下1位の回漕店であったという。旅館業も兼ねていた




 寛永3(1626)年に「青森湊」が開港して以来、港町である青森は、藩政時代から廻船問屋(かいせんどんや)が各地への海運を取り扱ってきましたが、明治6(1873)年、北海道開拓使により、青森・函館・安渡(大湊)間に弘明丸が定期便として運航を始めると、旧来の青森の廻船問屋の多くが転業し、新たに創業した「回漕店(かいそうてん)」にとって代わられました 日露戦争(1904~05年)後になると好景気となり、青森の海運業は大正の初めまで活況を呈しました。そのころは、青函連絡船による貨車航送もなく、港湾設備が未整備で大きな船を接岸できる岸壁はありませんでした。そこで、北海道向けの米・味噌・ワラ製品を、沖合に停泊した船に積み込むため、(はしけ)と呼ばれる小さな船が忙しく動き回っていたといいます。また、当時の北海道はニシン漁業が非常に盛んで、ニシン漁場に向かう出稼ぎ人で青森港が賑わっていたことでしょう。
 ちょうどその時代にあたる、明治40(1907)年頃に発行されたと思われる写真(ちょうには、回漕店の写真が掲載されております。ここに紹介されているのは成卯回漕店と桂井回漕店です。成卯回漕店は、新浜町に当時新しく開業し、北海道や樺太との間の船を取り扱っていました。写真帖の説明には「各漁業家の信用ありて多数なる漁夫を輸送せり」とあります。
 桂井回漕店は大町に店を構え、漁業者や船主から、貨客取扱を受託し、海上保険も取り扱っていました。いずれの回漕店も大きな建物を構え、船主や船員などを宿泊させていました。海運の勢いが盛んな青森港の当時の様子がうかがわれます。
(靑森県立郷土館・佐藤良宣)
by aomori-kyodokan | 2012-06-28 19:35 | 写真で見るあおもりあのとき
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