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青森県立郷土館ニュース

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岩井康賴「東北と舞踏」 ―1960年代の創造と破壊から ―

 平成24年1月14日に実施の岩井康賴(弘前大学教授)氏による青森県立土曜セミナー「東北と舞踏」 ―1960年代の創造と破壊から ― 前衛舞踏(BUTOH) 「土方巽」と「大野一雄」の配付資料を講師の方の承諾を得られましたので、事前公開(ブログ文字制限上、一部分のみ)します。興味のある方は、当日、午後1時30分から午後3時まで、当館小ホールにおいでください。

「東北と舞踏」―1960年代の創造と破壊から ―            

前衛舞踏(BUTOH)
「土方巽」と「大野一雄」

今の時代を肯定するにしても、否定するにしても1960年代の影響は計り知れない。明治維新以降、近代化の歴史の中で60年代は避けることの出来ない通過儀礼であった。戦後の高度経済成長期のかげで、日本の原風景が根こそぎ削られ、失われていった時代であった。人々は、「便利で幸せな生活」に憧れ、夢見、一生懸命働き、そして生きた時代、家族制度(核家族)の崩壊、村落共同体の崩壊等の中にあって、いいこともいっぱいあったと同時に、いろんなことを失ってしまった時代でもあった。

1.経済大国行きの特急列車が発車するぞ!
  戦後経済の最大の転換期!
  地方の若者は労働力として都会へ出稼ぎ - 集団就職列車 
地方から都市へ若者が流失し農村の過疎化
離農・減反で日本農業の転換期! 
  村落共同体の解体 → 故郷喪失   (長屋的共同体の解体)
  大家族から核家族へ   (家族の崩壊)  
  大量生産・大量消費で自然破壊・公害列島

2.「もの」と「精神」のはざまでゆれた時代 
日本人全体に「こころ」と「もの」のバランスがとれていた最後の時代

3.高度経済成長期―「ひと」から「もの」へ - 倒壊する予感

4.ものの見方、考え方を根本から変革しようとした。
60年代は「建設」とみえて,実は「解体への助走」の時代

5.根こそぎ捨てた不便な生活―近代化の罪?(現代は近代化のマイナスを引き受けた?)
  「都市のかっこよさ」「日常の快適性」を求め
故郷フルサトを捨ててきた50年 → 失われた原風景

6.それまでのドロドロしたものを常に捨てていく時代
7.時代の矛盾・歪み・怒りの原点の時代―展望のみえない学生運動など





前衛舞踏(BUTOH)家・「土方巽」 秋田県 羽生町生57歳

暗黒舞踏の創始者
1、「土方巽=舞踏」の存在は
60年代の文化のあり方に抵抗(時代に逆行)し
日本人のアイデンティティーを肉体(踊り)でもってさぐり
フルサト・原風景を掘り起こそうとした。


日本人の体の特性である
ガニ股・O脚・胴長・短足・猫背といった
それまでの舞踊界ではどんな意味でも
マイナスでしかなかった常識を
土方はそれを逆転させた。

2、そこに「風土」とそれに連なる
「肉体」と「精神」を踊りの中に発見した。
重心を低くして、地面に近づけ(這う)、
世界に全く新しい踊りの概念をたたきつけた。

3、あらゆる反社会的要素を盛り込んだ踊りとして、
徹底的な非西洋・反西洋から始まり
反社会・非日常・非現実
そして、西洋に背を向けスタートした。
時代の矛盾・歪み・怒りの原点の時代。 展望の見えない学生運動など

4、「舞踏」という新しい領域を切り開き
60年代前衛の旗手「土方巽」の存在は
1960年代アートシーンの全体を導くシンボル(教祖)であり
日本人の魂の救世主だった。


[肉体はわれわれのものでありながら、より「広大なもの」との関係によって存立している。「広大なもの」とは「景色であり」「風景であり」「風土であった」。
そしてこれらの脈絡は肉体の中に刻まれた少年期の記憶に通じる。厳しくまた豊かな秋田(或いは東北)の風土が造形した東北人の形を、彼は美しいもの、純なるもの、すなわち必然的な形として見、彼自身の中で探し求めた。]

現代舞踊の礎の系譜


大野一雄(1906-2010)     ←   石井 獏(1886-1962)  江口隆哉(1900-1977)
函館町生 (大館中卒)103歳         秋田生                   ↓ 野辺地町生 
                                                 ↓弟:江口乙矢(1911-2004)

土方 巽(1928-86)57歳    ←        ←       ←    増村克子
秋田県 羽生町生                                          秋田生




舞踏は「舞台・踊り」と「生活」を地続きなものと捉え直した。
身体を「軸」に近代を乗り越えようとし身体を強調する表現を確立した。


江口隆哉(1900-1977)  野辺地町生
江口乙矢(1911-2004)  野辺地町生 92歳
石井 獏 (1886-1962) 秋田生

土方 巽(1928-1986) 秋田県 羽生町生 60年代前衛の旗手 57歳
           1959年(昭和34年)「禁色」 
           1968年(昭和43年)「肉体の叛乱」 日本人を見直す
大野一雄(1906-2010)函館生(大館中卒)103歳 
増村克子

                        
「舞踏」 BUTOH            

①先祖からのDNAと肉体
「地域」・「風土」・「文化」から影響された肉体
日本人の生活習慣等、そういうものに注目した世界の舞踊家はいなかった。

身体の中に潜んでいる「闇」「硬さ」「暗さ」に耳を傾ける。
生命の誕生・根源の場に立ち返る。
過去の時間的な記憶が核になる。生きる証しのようなもの。
肉体そのものが、人間になるまでの記憶と過去からの遺伝子の形。
宇宙の履歴書だ。

②極限まで追い詰められた状態
本当の「願い」や「お祈り」は追い詰められた状態でしか存在しない。
「自然」に痛めつけられ「身体を抑圧」することで生まれた。
北国の寒さと風土に注目・強い風、冷たい雨、冷えた土、雪の寒さの
しみ込んだ肉体

③アンバランスの探求―日本の生理を際立たせる。
農耕民族的な生活の基に形成された肉体。
中腰の生活と労働、民俗芸能。
茶碗の美学=反芸術のようにみえる。(ゆがみ・ひずみ・非対称・アンバランス)
      茶碗の美学を包み込まないような美学は普遍的じゃない。
それを排除すると排除する側の枠組み方に問題がある。
限界を示す。 日本の所有から人間の所有に代わるためには!ルネッサンス以後のヨーロッパの美学的原理から一番遠い。

④日本人が半世紀を費やして取り組んできた、近代化の構造の歴史にあって
隠蔽された日本人の肉体を「東北という風土性」を強調することで発掘しよう
とした。


(以下、省略)
by aomori-kyodokan | 2012-01-13 15:50 | 土曜セミナー
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