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青森県立郷土館ニュース

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「北斎の富士」新聞連載 第10回「富士を描いた場所」(完結)

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 葛飾北斎は、「富嶽三十六景」で、さまざまな場所から富士をとらえ、その近景にはその土地ならではの風景を描いています。県立郷土館で開催中の「北斎の富士」では、「『冨嶽三十六景』北斎はどこから富士を描いたか」という解説パネルも展示しています。

 この図を、現在の都道府県別でみると、全46点中、東京都内からが最多で18点・約4割でした。江戸時代富士山は、意外にも江戸の山だったのです。次に多いのは10点の静岡県、7点の神奈川県、5点の山梨県、2点の千葉・愛知両県、1点の茨城・長野両県と続きます。

 現代の東京でも、ビルの谷間に富士山が見え、はっとすることがあります。東京からは、他に比肩しうる高さの山が見えず、ひと目でそれと分かる美しい形をしているからです。江戸時代は、ほとんどの建物が平屋か二階屋でしたから、どこからでも見られたはずです。各地に特定の山が結びついたように、江戸の人にとって、遠くにいつも美しい富士山がありました。あたかも桃源郷を求めるような気持ちで向き合ったのではないでしょうか。

 「冨嶽三十六景」出版の30年ほど前、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』が刊行。本作とほぼ同時期には、歌川広重の「東海道五拾三次」も刊行されました。このころ、庶民でも旅行が可能になり、富士講・大山講が流行しました。特に大山(おおやま・標高1252メートル・神奈川県)は、より手近にある三角形の美しい山です。別名雨降山(あふりやま)とも呼ばれました。山頂に雲がかかると雨が降るともいわれ、五穀豊穣・雨乞いの神として信仰されました。富士講の代替的要素もあり、鎌倉・江ノ島観光と組み合わせて、大流行しました。その様子は、「冨嶽三十六景」の「相州仲原」「相州七里ヶ浜」「相州江ノ嶌」に描かれています。大山道は、現在の国道246号(青山通り、通称大山街道)をはじめ、各地から大山にいたる道のことで、多数ありました。

 旅がしたくても叶わない人は、本作を眺めて、気分だけ味わったのかもしれません。当時錦絵一枚十六文で、かけそばと同じでした。現代でいうと五百円前後でしょう。富士を目指して旅すれば、各地の名所ではこんな景色が見られるのかと、想像をふくらませたことでしょう。また、江戸みやげで買い求めた人もいたようです。こうした理由で東京都の次に、静岡・神奈川・山梨各県からの景色が多くなったと考えられます。

 各地から見える、春夏秋冬、様々な場面での富士山の美しさは、当時の人々に旅情をかき立てたことでしょう。
(青森県立郷土館・安田道)

※現在、青森県立郷土館では東奥日報社と共催で「北斎の富士」を下記のとおり開催しています。これに関連して、紙上に10回にわたって、見どころを紹介する記事を掲載する予定です。ご期待ください。

□期日 10月30日(土)~12月5日(日)
□時間 10月30日・31日は9時~18時(入館は17時30分まで)
      11月1日以降は9時~17時(入館は16時30分まで)
□会場 当館1階特別展示室(大ホール)
■料金 一般・大学 800円(600円) 中学・高校 400円(300円)
      小学生以下は無料 ※(  )は前売りおよび20名以上の団体料金
■問い合せ先 東奥日報社・読者事業局事業部
〒030-0180 青森市第二問屋町3-1-89 電話=017-739-1249 FAX=017-729-2352
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by aomori-kyodokan | 2010-11-26 08:49 | 北斎 | Comments(0)
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