↑(安田城幸氏撮影)
ねぶたの記録は江戸時代からありますが、「青森ねぶた祭」という名称は意外に新しく、昭和33年(1958)以降のものです。
青森市は、昭和20年(1945)7月28日の青森大空襲で、市街地のほとんどを焼失しました。しかし翌21年には、早くもねぶたが復活、戦災を免れた旭町や油川で運行されたといいます。昭和22年は「戦災復興港祭り」の名称で、各種催し物と併せて実施しました。ねぶたの海上運行はこの年から始まり、「青森港(みなと)祭り」の名称は、昭和32年まで用いられました。昭和33年(1958)は、青森市の市政施行60周年にあたり、観光を意識した「青森ねぶた祭」という名称に変えて現在に至っています。
写真のねぶたは、昭和33年東奥日報社のものです。背後に写っているアーチ型広告(昭和30年~平成4年設置)のため、高さが制限されるようになったといわれています。(県立郷土館・安田道)
※県立郷土館は、県内の行事や街並み、農民の暮らしぶりなどを撮影した古写真を、広く県民の提供を受けるなどして収集しています。当館がこれまで集めた写真の一部を紹介しながら「ちょっと昔のあおもり」の記憶を52回にわたってたどってみます。(この項は、東奥日報社連載記事を転載したものです。)
昔の写真などをお持ちの方は、青森県立郷土館(電話017-777-1585)までご連絡ください。
【関連写真】
青森新町のネオンサインが設置されていた場所の近くといえば、青森市民には「青森コロンバン」さんも有名でした。柳町には本店がありましたが、ある時期、新町にもお店があったそうです。「往年の女子高校生」には、思い出の場所ではなかったでしょうか。
↑(写真提供:
林語堂さん)