あの世や神仏、妖怪が属する世界を「異界」といいます。幕末の弘前藩士は、ふだんから異界への知識を持っていたようで、彼らの日用の心得には「妖怪変化や化け物にあったら、親指を隠せ、眉に唾をつけろ」と書かれています。
その異界の仕組みを明らかにしようとしたのが、秋田出身の国学者平田篤胤でした。彼は、天狗の国で8年間暮らしてきたという少年寅吉へ、詳細なインタビューを行ない、30日間妖怪と闘った三次藩士稲生武太夫による妖怪物語「稲生物怪録」を世に紹介しました。
↑平尾魯仙画『稲生物怪録』弘前市立博物館蔵
様々な妖怪達を描いた「稲生物怪録」は、津軽の国学者平尾魯仙も写本を作っています。しかしそれは他の写本とは異なる部分が多く、
当展の特設「化け物屋敷」で全画を上映しております。
国学の流れの一部は、日本民俗学にも受け継がれました。その後明治以降、妖怪研究は、旧時代の迷信を打破する目的、または柳田國男らによる古い日本の神観念を探る研究として取り上げられましたが、その多くは好事家の分野でした。
昭和40年代には水木しげるに代表される妖怪ブームが起こり、マンガのなかで近世の「化物」と民俗研究で採集されたムラの妖怪がミックスされて「古めかしく、なじみやすく、自然とつながる」現代人の妖怪イメージが普及します。
↑お化けを守る会ハガキ「お化け版通三号」個人蔵
昭和50年代には、弘前市で「お化けを守る会」が結成され、「せめてお化けの出る情緒ある世の中にしたいもの」といって、会誌の発行、怪談を聞く会、妖怪・幽霊画の展覧会、民間信仰の調査研究など、妖怪たちを文化のひとつとして楽しむ、有志の会が発足しています。(学芸主査 小山隆秀)