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青森県立郷土館ニュース

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妖怪展展示解説 第3回 「自然の怪異-予言する人魚-」

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↑「石崎村でとれた異形の魚」(弘前市立弘前図書館蔵『三橋日記』)

 人魚といえば我々は、下半身が魚体である美しい女性を想像します。しかし古い日本の人魚は女性とは限らず、ときに頭以外は全身ウロコの奇妙な姿をしていると考えられました。その肉を食べれば不老不死となるとも、その絵を見れば病が治るともいわれました。

 青森県は古代から人魚が現れた地域です。「吾妻鏡」や「本朝年代記」には、宝治元年(1247)津軽の海に、四足の人魚(または大魚)が流れ着き、戦乱になるきざしだと記しています。時代が下って宝暦9年(1759)には、平舘村石崎で漁師の網に、二つの角と髪を生やした人の頭をもち、胸に袈裟をつけた、薄黒い「異形の魚」がかかったそうです。その姿は同年、加賀国で出現し、約12メートルの巨体で火炎を吐いて千軒を焼き尽くし、ついには猟銃で仕留められた化け物に似ています(「姫国山海録」)。

 これらは文政2年(1819)に九州備前国の浜に出現して、豊年や疫病を予言した竜宮の使者「神社姫」にも似ており、ときにアマビコという名で各地に出現した、天災を予言する化け物の仲間だと思われます。

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↑「人魚のミイラ」(八戸市博物館蔵)

 その一方で人魚のミイラも登場しました。近世初頭には、河童や竜などの伝説上の獣が、信仰の対象として作成されて神社に奉納されたものもありましたが、幕末になると本草学の研究のなかで、それらを実在する可能性のある生物の標本として扱うことがあり、当展示では八戸南部家が所蔵していた人魚のミイラを公開しております。

 同様のミイラ資料のなかには、幕末に欧米人向けの土産として売られ、現在、海外の博物館に眠っているものも少なくないようです。自然界の現象を解明しようとした、当時の人々の学究を知るうえで貴重な資料といえるでしょう。(学芸主査小山隆秀)
by aomori-kyodokan | 2009-09-25 11:45 | 妖怪
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